神渡:コンコン、
玄人先生、いらっしゃいますか?
玄人:おー、いるよ。
どうぞ!
神渡:神渡です。
失礼します。
玄人:どうした?
神渡:先生、刑法総論って難しいです。
なかなか分かるようになりません。
受験生は最近、山口厚先生の刑法総論の本を使用する人が多いようですが、山口説は理解しにくいです。
どうしたらいいんですか?
玄人:そうだな、学説にはそのよって立つ基本的立場というものがある。そこを押さえないといくら本を読んでも分かるようにはならない。むしろ、どんどん分からなくなっていく。
神渡:そのよって立つ立場がよく分からないんです。
玄人:とすると、流れの理解が必要だな!
神渡:どうか教えてください。
玄人:ん~、そうだな、“ふわけ”をしながら山口説の学説上の位置づけでも試みてみるか!
神渡:お願いします。
玄人:山口先生は、東大の先生だ。そこで、山口説を理解するためには、まず、東大刑法の流れを押さえておく必要があるだろう。
東大では、牧野英一先生という凄い先生がいた。牧野先生はバリバリの主観主義論者だったんだ。その弟子が小野清一郎先生だ。小野先生は、師の牧野先生とは違って客観主義論者の先生だった。その小野先生の弟子が團藤重光先生だ。言わずとしれた行為無価値論の主張者だ。小野先生も今でいう行為無価値論者と言って良い。
戦後、主観主義は刑法理論からほぼ姿を消した。変わって、客観主義が主流となった。その客観主義の中でも、小野・團藤の両先生に代表される行為無価値論が主流となった。つまり、道義的責任論を中心とする刑法理論だ。
戦後の東大刑法は一時期、行為無価値論一色だったと言っていい。
神渡:え?そうだったんですか?
玄人:ところがだ、平野龍一先生の登場で東大行為無価値論の風向きが変わってくるんだな。
神渡:平野先生は知っています。
結果無価値論の先生ですよね?
玄人:そうだ、戦後の日本で明確に結果無価値論を主張した先生だ。
平野先生は小野先生の弟子だった。つまり、團藤先生と師匠が同じなわけだ。團藤先生からすると、平野先生は弟弟子ということになる。
あ~、ちなみに、“結果無価値論”って何か分かるだろうね?
神渡:はい。
法益侵害(orその危険)を違法性の実質と見る考え方です。
玄人:OKOK!
この結果無価値論は、戦後に制定された日本国憲法の基本的枠組とマッチすることから、学会で急速に広まっていくんだ。
神渡:“戦後に制定された日本国憲法の基本的枠組とマッチする”
というのどういうことなんですか?
玄人:戦後憲法の基本的枠組は“個人の尊厳”の確保だ。
つまり、価値観が様々である個々の人間をその価値観をもって差別せずに一人の人格者として平等に扱うというのが、戦後憲法の基本的な考え方だ。
結果無価値論は、法益侵害(orその危険)が生じない限り、個々の国民の自由を保障するという考え方だ。
行為無価値論だと、道義的責任という道徳的な社会通念というものが前面に出てきて多数者の価値観に従うことが法的に強制されがちになるわけだが、結果無価値論では、道徳的な社会通念を刑法では考慮してはならない、と考えるわけだから結果無価値論は戦後憲法の基本的枠組がにマッチするわけだ。
神渡:そうですね。
ありがとうございます。
玄人:その平野先生の弟子の一人が山口先生というわけだ。
これまでの東大刑法の流れをまとめてみよう。
まず、牧野vs小野の主観主義理論vs客観主義理論の対立があり、客観主義理論が勝利する。
そして、客観主義理論内部で、行為無価値論vs結果無価値論の対立があり、現在は結果無価値論が主流という流れになっている。
神渡:法益侵害(orその危険)をもって違法性の実質と捉える考え(結果無価値論)が今の東大刑法ということですね。
玄人:そういうこと!
神渡:ですが、山口先生は他の結果無価値論者と何か違う気がするんですが・・・
玄人:ここから、山口説の理解に入っていくが、まずは山口先生の『刑法総論』(有斐閣、2001年)の基本的考え方から見ていこう。
通常、結果無価値論者であっても行為時判断としての実行行為を認めるんだ。前田雅英先生、佐伯仁志先生しかり。
しかし、山口先生はそれを否定したんだ。具体的には次のように山口先生は言っている(山口厚『刑法総論』<有斐閣、2001年>44頁。以下では、『山口総論初版』と略する)。
「実行行為」をいわば犯罪の本体として理解し、それを結果惹起とは独立に捉えることには疑問がある・・・。結果惹起から区別された、それ自体としての犯罪行為というものは考えることができないのである。・・・行為の意義は結果との関係において、結果惹起の観点から、結果との相互関係において捉えられなければならないのである。
玄人:しかも、実行行為という概念を用いることについて、次のようにも批判している(『山口総論初版』45頁)。
「実行行為」という概念によって、その背後にある実質的な問題が包み隠され、実体的な価値判断が明るみに出されないまま、結論が導き出されることになるきらいがある(ブラック・ボックスとしての「実行行為」)。
玄人:そのようなことから、山口先生は
「実行行為」という用語の使用を排しているばかりではなく、それをそもそも構成要件要素としていないのである。
玄人:とされているんだ(『山口総論初版』45頁)。
神渡:か、過激ですね・・・。
玄人:とても過激だ!
でも、法益侵害(orその危険)を徹底して犯罪理論を組み立てると山口説は1つの到達点だろう。
『山口総論初版』の分析をもう少し続けよう。
結果無価値論者も通常は、行為時判断としての実行行為を肯定するから、
(1)法益侵害
(2)実行行為
(3)その間の因果関係
という思考をたどる。
しかし、山口先生は違う。
(1)法益侵害(orその危険)
(2)因果関係ある行為
という思考をたどるんだ。
処罰対象となる行為は、法益侵害(orその危険)に因果関係がある行為となる。
そうすると、因果関係の判断が処罰対象行為の確定にとって重要な概念となる。
初版の山口説にとっては、因果関係判断と切り離された処罰対象行為としての実行行為を検討することはナンセンスということになるわけだ。
神渡:法益侵害(orその危険)から遡っていくという思考を徹底するんですね。
玄人:そうだな。
で、法益侵害(orその危険)から遡っていくという、その思考は、未遂犯の検討にも影響を及ぼす。
通常の未遂犯の検討はどうする?
神渡:まず、
(1)実行行為があるかどうか?
を検討して、それがある場合に、次に
(2)法益侵害がないかを検討します。
玄人:そうなる。
ところが、山口説では、違うんだ。
初版山口説での既遂犯の思考はどうだった?
神渡:(1)法益侵害
を検討し、それがあれば
(2)因果関係ある行為
の検討をします。
玄人:法益侵害はあるが、ある行為者の行為がその法益侵害と因果関係がない場合、山口説ではどうなると思う?
神渡:法益侵害はありますが、その行為者の行為は処罰対象行為ではないわけですから、その行為者に既遂犯は成立しませんよね?
玄人:そうなる。
では、未遂犯は?
神渡:えっ?
因果関係がないわけですから、未遂犯が成立するのではないですか?
玄人:一般的な思考枠組に従うと、実行行為があり法益侵害があっても、その間に因果関係がなければ、既遂犯は不成立だ。
だが、実行行為がある以上、直ちに未遂犯が成立することになる。
しかし、山口説では、法益侵害があっても、ある行為者の行為がその法益侵害を惹起したものではない場合、既遂犯が成立しないにとどまる。
既遂犯が成立しないからといって直ちに未遂犯が成立するとは限らないんだ。
神渡:え~?
ではどうなるんですか?
玄人:山口説ではまず、法益侵害の危険があったかという未遂結果の判断をする。
それが肯定されれば、その未遂結果をどの行為が惹起したのかという未遂犯の因果関係の判断に移るわけだ(山口厚『問題探求 刑法総論』<有斐閣、1998年>5~6頁)。
神渡:そうなんですか?
未遂犯も未遂結果という結果が要求されるんですね?
玄人:そういうこと。
これも、法益侵害(orその危険)を中心に考えることから出てくる1つの思考だ。
既遂構成要件-因果関係=未遂犯
という構造を山口先生は採っていないわけだ。
山口説は、
既遂構成要件-因果関係=既遂犯不成立
未遂構成要件=未遂結果+因果関係
という構造になる。
この構造が法益侵害(orその危険)を中心に考えることから出てくることを理解することが山口説の理解には必要となる。
神渡:だいぶ違いますね。
玄人:違うな!
神渡:でも玄人先生、山口先生は『刑法総論』第2版で実行行為概念をあえて使用するという重要な改訂を行っていますよね。
玄人:そうだ。引用してみよう(山口厚『刑法総論(第2版)』<有斐閣、2007>第2版へのはしがきⅰ。以下では、『山口総論第2版』と略することとする)。
従来の刑法総論の解釈論においては、実行行為という概念が形式的整合性を確保するという見地から多用され、そのことによって、その背後にある実質的な問題がいわば隠蔽されていること、実行行為という概念を形式的に論じるのではなく、それによって覆い隠された問題自体に直接取り組む必要があると考えられたことから、初版では実行行為という概念の使用を避け、それを媒介することなく、解決されるべき実質的な問題を直接取り扱うこととしていた。刑法の研究を始めた当初から抱いてきた、こうした問題意識は現在でも不変であるが、一般の学説において実行行為概念により解決されている問題について、筆者はその存在自体を否定しているかのような「誤解」が一部で生み出されているように思われたところから、本書では、実行行為概念をあえて使用した上で、その判断基準を明確化する方法を採ることとした
玄人:と記述されている。
神渡:つまりは、改説したということなんですか?
玄人:それは違うな。
『山口総論第2版』第2版へのはしがきⅱでも次のように書いてある。
これまでの考え方が変わったわけではなく、いわばその説明方法を変えたにすぎない
玄人:また、『山口総論第2版』50頁、51頁では次のように記述されている。
因果関係の起点となる行為を、一般に、実行行為という。・・・実行行為を因果関係の起点として捉えることを超えて、それ自体がいわば犯罪の本体・実体であると理解すること・・・には根本的な疑問がある
玄人:これらの記述からすると山口先生は改説をされたわけではない。
神渡:ですが、山口先生は、『山口総論第2版』50頁において、
構成要件的結果を惹起する客観的な危険性
神渡:を実行行為とされています。
そして、
因果関係は、実行行為・・・と構成要件的結果との間に要求される
神渡:ともされていますよ。
結局、これまでの実行行為の理解と同一な気がするのですが・・・?
玄人:山口先生がこれまでの実行行為概念のどこを批判していたかが重要なんだが、山口先生は、
実行行為を因果関係の起点として捉えることを超えて、それ自体がいわば犯罪の本体・実体であると理解すること
玄人:に反対していた(『山口総論第2版』50頁)。
これまでの実行行為が
実行行為自体を「ブラック・ボックス」と化して、その背後にある実質的問題を包み隠し、実体的な価値判断を明るみに出さないまま、結論を導き出すことには基本的な疑問があるのである。実行行為という「解釈概念」を「否定」する立場・・・は、こうした考慮から主張されていたのであり、構成要件要素としての構成要件的行為の限定までを否定しようとしていたわけではない(「誤解」を正す意味で、本書では、こうしたことを改めて明確にした上で、一般に使用されている実行行為という用語を用いることにする)。
玄人:ということなんだ(『山口総論第2版』51頁)。
神渡:なるほど!
「ブラック・ボックス」としての実行行為概念を否定していたんですね。
そうしますと、社会通念とかではなく、客観的な危険性でもって実行行為該当性を検討するのであれば実行行為概念を用いても問題はないということなんですね。
玄人:そうそう、そういうこと。
山口先生は、
行為の危険性は、行為時に存在した事情を基礎に客観的に判断
玄人:するという判例の立場を
基本的に支持しうる
玄人:とされている(『山口総論第2版』60頁)が、それは、このように行為の危険性を行為時に存した事情を基礎に客観的に判断するのであれば、実行行為が「ブラック・ボックス」化することはないから実行行為概念を使用することに問題はないということを言っているんだ。
ポイントは、
“因果関係の起点としての実行行為”
という理解にある。
社会通念、一般人の感覚による実行行為概念を独立に要求することは、“社会通念”や“一般人の感覚”というものが曖昧なものである以上、「ブラック・ボックス」化するわけだ。
神渡:法益侵害の危険にいう危険を客観的に判断して、実行行為該当性判断を明確にした上で、その実行行為と法益侵害(orその危険)との間の因果関係を検討するわけですね?
玄人:そういうこと!
神渡:結局、山口先生も他の多くの結果無価値論者の先生方と同じ思考だったわけですね。
玄人:まぁ、そういうことになるね。
これまでは、因果関係論で議論していた問題(行為の危険性、条件関係論、相当因果関係論や正犯性など)が、実行行為概念を用いて説明する方法に変えたことで、体系的にすっきりとしたものになったのではないか?と私は思っている。
行為の危険性は、実行行為で
条件関係論と相当因果関係論は危険の現実化としての因果関係論で、
正犯性は、これらと区別して正犯論で、
議論されることで理解もしやすくなったのではないかな?
ともかく、山口説を理解するポイントは、
法益侵害(orその危険)を中心に犯罪理論が構築されている、
ということを理解することに尽きると言っても過言ではない。
山口先生の本を読むときは、そこに注意すれば必ず理解することができるよ!
あっ、あと、山口説を理解するためには、通称「青本」ではなく、ちゃんと総論・各論の分冊された本を読むように。
「青本」は省略されすぎていて、あれだけで理解することができるとは思えない。
山口厚『刑法総論<第2版>』(有斐閣、2007)
これは必読書だぞ!
神渡:あっ、はい。
分かりました。
買おうかどうか迷っていたんですが、玄人先生の話を聞いて決心しました。
今日は長いことありがとうございました。
また、話を伺いに来てもいいですか?
玄人:良いよ。
なんなりと質問してくれ。
神渡:良かった~。
では、玄人先生、失礼します。
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---司法試験『対話式 論点分析』<基本書分析-刑法総論-山口説>終---