玄人:
A(幇助)→B(幇助)→甲(刺突行為)→乙(死)
玄人:という間接幇助の事例では、Aは共犯者Bを幇助したわけだ。
共犯者Bを幇助するということは実行行為を促進することではないよな?
流相: はいそうです。
玄人: だったら?
流相: Aに幇助犯は成立しないことになります。
玄人: そうなるだろうな。
神渡: ですが、玄人先生、大塚先生は、間接幇助を肯定しているようなのですが?
玄人: 大塚先生はなんと言っている?
神渡: 少し長いのですが・・・
甲が情を知らない乙を使って短刀を殺人者丙に届けさせるような場合には、甲は、間接従犯ではなく、従犯そのものである(大塚仁『刑法概説(総論)第三版(有斐閣、1997年)311頁)
神渡:としています。
続けて、
甲が乙またはその知人が不特定・多数者に閲覧させるであろうと予期しつつわいせつな映画フィルムを乙に貸与したところ、乙がそれを友人丙に転貸し、丙がこれを映写して公然陳列した場合のように、丙のわいせつ図画公然陳列罪の実行について、情を知った乙のフィルムの転貸という幇助行為が介在しても、そもそも甲のフィルム貸与が不可欠な援助をなしていると認められる時は、甲の行為は単に乙の行為を幇助したものではなく、丙の実行行為そのものを幇助したものと解すべきである(大塚・同書311頁)
神渡:としています。
流相: そうなんですよね。
大塚先生は、不法共犯論から間接従犯を結局は肯定しているんです。
玄人: 果たしてそうかな?
流相: 今神渡さんが指摘した部分がその証拠だと思うのですが?
玄人: よ〜く読んでみて欲しいんだが・・・
まずは、神渡さんが挙げた初めの例(殺人の例)を検討してみよう。
ここでは大塚先生は結論としてなんと言っている?
流相: え〜と、
間接従犯ではなく、従犯そのものである
流相:と言っています。
神渡: あっ!
大塚先生は、つまりこの殺人の例では間接従犯を肯定しているのではありません。
あくまでも、甲は(いわば直接)従犯だと言っているのですね。
玄人: そういうこと!
決して間接従犯を肯定しているわけではない。
では、次の例(わいせつ図画公然陳列罪の例)はどうだ?
神渡: ここでも大塚先生は、結局、甲によるわいせつ映画フィルムの乙への貸与行為が、
丙の実行行為そのものを幇助したものと解すべきである
神渡:とされています。
玄人: そうだ。
つまりは?
流相: 間接従犯の肯定ではなく、(いわば直接)従犯を肯定しているということですね。
玄人: そういうこと。
そうじゃないと、
間接従犯についての規定がない以上、これを処罰しないのが刑法の趣旨であると解すべきである(大塚・同書310頁)
玄人:との記述と矛盾するからね。
神渡: しかし、何故そうなるんでしょうか?
流相: 何故かって?
神渡: 「不法共犯論」は、「実行行為を促進」すればいいわけですから、間接的にであっても実行行為を促進すれば従犯処罰は可能だということになりそうなんですが・・・
阪奈: あぁ〜、なるほどねぇ〜。
流相: たしかに!
言われてみればそうだね。
玄人: そこには「不法共犯論」の思考の特徴があるんだ。
---次回へ続く---