玄人: 「共犯」の中でも、「正犯」の性質を全く持たない「狭義の共犯」から検討する。
まず、絶望・暗黒の共犯論の中に、さっそく、一筋の光明を持ってこよう。
それは・・・
「共犯の処罰根拠論」だ。
この「共犯の処罰根拠論」が共犯論を理解する上での一筋の光なんだ。
流相: ”違法共犯論”とか”因果的共犯論”とかですね?
玄人: そうだが、いきなりそこに飛びつくのではなく、もっと基本から押さえていく!
流相: えっ?
「処罰根拠論」が基本なのではないですか?
玄人: そうだ。
だが、「処罰根拠論」の流れを押さえることが「処罰根拠論」を理解する上で重要なんだよ。
神渡: ”流れ”ですか?
学説的な流れということでしょうか?
玄人: そういうことになる。
刑法理論とどう結びついて「共犯の処罰根拠論」が考えられているかを分析することが「共犯論」の理解にとって重要になる。
この講義ではかなり古い時代の刑法理論から「共犯の処罰根拠論」の流れを押さえていく。
阪奈: ということは、戦前の「主観主義刑法理論」VS「客観主義刑法理論」の対立にまで遡るのでしょうか?
玄人: その通り!
「主観主義刑法理論」とは?
流相: 行為者の「犯意」を処罰対象とする考えです。
つまり、「行為者」の危険性を重視します。
玄人: そう。
では、「客観主義刑法理論」は?
流相: 外部に現れた「行為」を処罰対象とする考えです。
玄人: そう。
流相: しかし、この対立が「共犯の処罰根拠論」にどう影響しているのですか?
玄人: そこがポイントだ。
「犯意」を重視すると、正犯と共犯の違いはどうなるだろうか?
たとえば、
(1)Aが甲を殺そうと思ってナイフで甲の腹を刺す場合(正犯の場合)
A→甲
(2)Aが甲を殺そうと思って、甲を殺そうと考えていたBにナイフを渡し、Bが甲の腹をナイフで刺す場合(幇助の場合)
A→B→甲
玄人: (1)と(2)で「主観主義刑法理論」からはどうなるだろうか?
流相: (2)の方は「共犯」に・・・
阪奈: いやいや、「主観主義刑法理論」からは、(1)も(2)もどちらも行為者の「犯意」は同じくらい悪質だから、この理論を貫くと「正犯」と「共犯」の違いはないことになります。
玄人: 「主観主義刑法理論」だとそうなる。
(2)の教唆は、本来正犯だが、刑法が共犯とくくっているので「刑罰縮小事由」ということになる。
ということは、つまり「主観主義刑法理論」からの「共犯の処罰根拠」はどうなる?
---次回へ続く---