富公:では次は
(2)「国民」への法効果であること
を検討しましょう。
これはどういうことでしょうか?
阪奈:「国民」に法効果が生じる、ということです。
富公:そうです。
この要件はどういう役割を持っていますか?
阪奈:国家の内部行為を排除するという役割を持っています。
富公:よく勉強されていますね。
「内部行為論の排除」ですね。
つまり?
阪奈:つまり、
国家機関内部の行為は「処分」にあたらないということです。
富公:その通りです。
何故でしょうか?
阪奈:それは、行政法が国民の権利・自由を保護することを目的とするからだと思います。
流相:ん?
でも、講義の初め頃に、行政法の目的は「行政の恣意をコントロールすること」と言っていたことと違うような気が・・・
阪奈:「行政の恣意をコントロールする」のは、国民の権利・自由を保護するためです。
行政をコントロールするのは、最終的には国民の権利・自由を保護するためだから問題はないと思います。
流相:あ~、そういうことなんですね。
目的=国民の権利・自由の保護
手段=行政の恣意をコントロール
という目的手段の関係ですね。
富公:国家の行為の客体が
国民であるのか、
国家機関であるのか、
の判断も「処分」該当性判断には重要となりますね。
具体例は、平成25年度の過去問に出ていますので、その検討をする際に見てみましょう。
では、次に
(3)「個別」の国民に法効果が生じるのか?
つまり、「個別的」法効果が生じるのか?という点を検討しましょう。
神渡:(2)「国民」への法効果であること
と何が違うのでしょうか?
富公:そこの理解がまさにポイントです。
(2)も(3)も同じ「国民」という言葉が使われています。
その国民をどう捉えるかで大きな違いがあるのですが・・・
流相:(3)は、法効果が個別の国民に生じるのか?ということですよね。
法効果が及ぶのが個別の具体的な国民である、というのが(3)だろうと思います。
富公:おっ、良いですね。
では、(2)の国民は?
流相:それは、国民一般だと思います。
神渡:たとえば、(2)にいう国民一般としての「国民」はいわば個々の顔が見えない国民で、
(3)にいう個別の具体的な「国民」はいわば1人1人の顔が見える国民という感じでしょうか?
富公:そういうことです!
その理解で良いと思います。
では、(3)で問題となることは何でしょうか?
つまり、(3)で排除される国家の行為はどういったものでしょうか?
---次回へ続く---