流相: 神渡さんは、
政治が教会とさえ結びつかなければ宗教と関係しても“政教分離”には反しないということになります…か?
と言っていました。
でも、僕は、教会と宗教は切っても切れない不可分の関係だと思うんです。
ですから、神渡さんが言っている意味が分かりません!
払猿: 流相君のように考えると、“政教分離”を、
国家と宗教の完全分離
と捉えることになります。つまり、「厳格分離」の立場です。
逆に、神渡さんのように考えると、“政教分離”を、
国家と宗教自体のかかわり合いは許される
と捉えることになります。つまり、「緩やかな分離」の立場ですね。
流相: 神渡さんのような考え方が可能なのですか?
払猿: もちろん論理として可能ですし、判例も基本的にそう考えています。
流相: ですが、学説的には「厳格分離」が通説的ですよね?
払猿: そうでしょうね。
芦部先生も判例の「目的効果基準」は、
国家と宗教とのゆるやかな分離を是認することになる可能性がある・・・点で問題はある・・・(芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第五版』(岩波書店、2011年)157頁)
として判例を批判していますからね。
阪奈: そのような対極的な理解はどうして可能なのでしょうか?
払猿: それは、憲法の領域を超えた議論になります。
流相: 憲法の領域を超えるなら考えなくてもいいのはないでしょうか?
払猿: そこは、難しいところですね。
憲法の理解は憲法の領域だけでは不十分となりますので、憲法を超えた部分も知ることが憲法の理解には役に立ちます。
ただ、司法試験を受験して、合格するという皆さんの当面の目標のことを考えると、憲法を超える部分に力を入れるわけにもいかない…。
阪奈: ですが、現実と憲法が交錯する部分を理解することは、法律家になった後にとても重要になるのではないでしょうか?
払猿: それは、もちろんそうです。
憲法は憲法の領域だけで存在しているのではありませんから。
現実と無関係ではないのです。
ですので、憲法を超えた領域の勉強も皆さんにはしていただきたい。
流相: …たしかにそうですね。
神渡: 私も何故そういう対極的な理解が可能なのかを知りたいです。
払猿: “政教分離”は憲法の基本的な部分ですので、憲法の領域以外を勉強するいい機会かもしれません。そもそも憲法の領域というのは明確に判別することができるものでもありませんし。
大きな考え方で捉えると、
厳格分離⇒神社神道が国家神道の基盤になりファシズムが推進されたとの認識(小林正弥『神社と政治』(角川新書、2016年)253頁)
緩やかな分離⇒ファシズムを推進したのは、国家神道でも神社神道でもなく、右翼的な在野の狂信的・神秘主義的神道だったとの認識(小林・前掲250頁)
という、国家神道・神社神道に対する対極的な認識の違いがあるのです。
流相: 要するに、ファシズム化について、国家神道・神社神道に罪があったと考えるのか、罪はなかったと考えるのか?という違いですね?
払猿: 大きく言うとそうなりますね。
---次回へ続く---