玄人:いままでの議論をまとめると、次のようになるだろう。
(1)結果行為を実行行為(実行の着手時期)とみて、構成要件該当性、違法性を充たすことを前提に、責任段階で、“行為と責任同時存在原則”をどう考えるか?
“行為と責任同時存在原則”からは実行行為時に行為者は責任無能力に陥っているから原則処罰できない。
そこで、その原則を貫く立場(不可罰説)が出てくる。
これに対しては、“行為と責任同時存在原則”を修正して処罰を肯定する考え、“例外モデル”が出てくる。
流相:そうですね。
まずは、その流れでしたね。
“行為と責任同時存在原則”にいう行為と同時に存在しなければならない“責任”というのは、
“是非弁別能力”で足りるのか、それとも
“行動制御能力”まで必要なのか、
ということが責任主義で問題になったんですよね?
玄人:そうだ。
責任主義に責任とは、
“是非弁別能力”に加えて
“行動制御能力”
が必要だ、との考えが一般的だから、行為時に“行動制御能力”がなくても良いと考える“例外モデル”は支持を得られにくかった。
そこで、実行行為を原因行為に求める考え、
(2)“構成要件モデル”が出てくるというわけだ。
そのモデルの中で、初めは私がいうところの同視説(原因行為=実行行為=実行の着手)が出てくる。
阪奈:しかし、この同視説では、処罰時期が早すぎるという批判があるわけですよね。
玄人:そうだ。
そこで、処罰時期は“例外モデル”と同じく結果行為に求めつつも、処罰対象行為を原因行為に求められないか?ということで考えられたのが、私がいうところの分離説だ。
神渡:分離説は、実行行為は原因行為ですが、実行の着手時期は結果行為に求めるわけですから、実行行為と実行の着手時期とがズレることを前提とする学説ですね。
玄人:そうだ!
処罰対象行為と処罰時期とが完全に一致しないことを認める学説だな。
原因行為と結果行為とを一連一体の行為とみることが分離説ではとても重要となってくる。
そして、分離説を採用するかは、実行行為の構造についての論者の理解が密接に関わるわけだ。
流相:実行行為と実行の着手時期とがズレることを認めるか否か?というのがポイントですね?
玄人:そういうことだ。
実行行為の構造は、
・原因において自由な行為のみならず、
・未遂の処罰時期や
・間接正犯の処罰時期や
・離隔犯の処罰時期など
の関連論点に波及していくから、慎重に分析していかないといけない。
流相:“原因において自由な行為論”で分離説を採用したら未遂犯の処罰時期も結果の危険性が生じたとき、離隔犯も被利用者基準説、という流れになるというわけですね。
玄人:そういうことになる。
流相:ちなみに、実行行為と実行の着手時期のズレを認める説はどういう理由なんですか?
阪奈:それは、行為無価値と結果無価値の問題だと思います。
(二元的)行為無価値論者は、“行為の危険性”に着目しますから、行為者の行為を離れて実行行為・実行の着手を認めません。
これに対して、
結果無価値論者は、“結果の危険性”に着目しますから、行為者の行為から離れた時点で、結果としての危険性、たとえば結果発生の切迫した危険性を肯定することが可能となります。
流相:じゃあ、結局、“原因において自由な行為論”の対立も対立の根本原因は、
“行為無価値論” VS “結果無価値論”
の争いなんですねぇ。
玄人:そういうことになるかな。
基本的な部分の理解が重要だと言うことがよくわかる論点だったろ?
神渡:少ない前提から様々な論点を分析することができるんですね。
なんか、理系の思考方法と似ていますね。
法律って結構面白いです!
玄人:そう言ってもらえると教師冥利に尽きるなぁ。
今日の講義はこれで終わろう!
では、しっかりと復習してくれ。
---原因において自由な行為の分析 終---