阪奈: 見たくない、知りたくないことに目をつぶる、目をつぶるだけじゃなくて排除する、というその思考に被告人としては一番怒りを感じるんじゃないかしら?
だから、立入りが管理権者の意思に反すれば「侵入」に該当するという「侵入」の解釈を、政治的言論の優越的地位の観点から絞っていくべきじゃないかしら?と思うの。
神渡: その考え、良い!
その際、立川宿舎が国の施設であることを考えるとパブリックフォーラム論を使えないかしら?
流相: えっ?
それは無理なんじゃ・・・
阪奈: そうねぇ、さすがに無理かもね。
というのも、宿舎が国の施設であるとしても、自衛隊員の私生活の場として使われる施設だから。
それに、伝統的なパブリックフォーラムである公道や公園、指定的パブリックフォーラムである市民会館とは異質よね。
神渡: それはそうよね。
でも、自分の気に入らない言論を排除するという思考は健全な民主主義の実現にとってとても悪いことだと思うの。
排除思考では、言論市場が崩壊するわ。
流相: そうかもしれないけど、見たくない物を見ない自由というのもあるんじゃないかな?
神渡: それは私もそう思うわ。
でも、言論、特に政治的言論ということになると、見たくない物を見ない自由というのは制約しても良いような気がするの。
そうじゃないと、意見の違う者どうしの自由な意見交換が困難となって、言論によって公のことを考えることが不可能になると思うわ。
流相: それは分かるんだけど・・・
自衛隊員が公務員だから特にそういう制約を課されてしかるべきだという意見に聞こえるんだよねぇ・・・。
神渡: ううん、違うの!
私は、公務員だからそういう制約を課されるべきだとは言っていないの。
全ての国民がそういう制約を課されるべきなのではないかしら?と言っているの!
流相: え~~!
それって憲法論なの?
憲法では通常、権利・自由への制約を取り払う方向で議論すると思うんだけど、今神渡さんが言ったのは、権利・自由へ制約を課すべきだ、ということだよね。
神渡: そうね。
流相: 権利・自由を制約する方向で憲法論を展開することって可能なの?
---次回へ続く---