流相:
最高裁の定式では、政教分離に反せず合憲とすることが容易となり、レモン・テストでは、逆に違憲とすることが容易となる。
という違いはどうしてるのでしょうか?
ベクトルの向きが真逆ですよね?同じ政教分離の議論なのに…
払猿: そこは、政教分離をどう考えるか?という、まさに、政教分離の根本的理解にかかわります。
政教分離をどう考えるのか?
阪奈: 厳格分離と緩やかな分離の対立ですね?
払猿: そうです。
問題は、これらの対立のもとはどこにあるのか?ということです。
そもそも“政教分離”は何と何の分離のことを意味していましたか?
流相: それは、政治と宗教の分離ですよね、当然に。
払猿: いえ、それが違うのです。
特に日本が範とするアメリカや、近代憲法誕生の地であるフランスでいう“政教分離”は、「国家と教会との分離」のことなのです。
圧倒的な支配力をもつカトリック教会の存在を与件として、そこから「共和国」を自立化させようとしたフランスや、逆に英国国教会の支配から逃れた海をわたった群小の教団たちが、現状維持を欲して国教会の樹立を禁じたアメリカ(石川健治「精神的観念的基礎のない国家・公共は可能か?-津地鎮祭事件判決」駒村圭吾編著『テクストとしての判決-「近代」と「憲法」を読み解く』169頁(有斐閣、2016年))
では、“政教分離”といえば、「国家と教会の分離」を意味したのです。
神渡: ということは、政治が教会とさえ結びつかなければ宗教と関係しても“政教分離”には反しないということになります…か?
流相: えっ?そんなこと可能なの?
教会と宗教は切っても切れない不可分の関係だから神渡さんが言っていることの意味が分かりませんけど?
払猿: そこをどう考えるかが、“政教分離”を考えるうえでの分岐点となるでしょうね。
流相: どういうことでしょうか?
僕の考え方と神渡さんの考え方で、厳格分離か緩やかな分離かが決まってくるということでしょうか?
払猿: そうなります。
---次回へ続く---