玄人:
”過失犯の構造”
”共同正犯の議論の射程”
玄人: この2つの議論をしっかり押さえておかないと、過失犯の共同正犯の議論を理解することはできないんだよ。
流相: 過失犯の構造は、新過失論VS旧過失論のことですよね。
玄人: 基本的にはそうだ。
神渡:
旧過失論は過失犯の本質を「不注意」に求める考えで、
新過失論は過失犯の本質を「義務違反行為」に求める考え
神渡:でした。
分かるのですが、先ほども言いましたが、旧過失論からも過失の構成要件該当行為が考えられないのでしょうか?
玄人: それは考えられるし、現に旧過失論者も過失の構成要件該当性について検討している。
だが、当初は過失犯の構造について旧過失論は構成要件該当性と違法性は故意犯と過失犯とで共通と捉えられていた。
たとえば、
故意と過失とは、責任の形式ないし種類である。両者が責任の形式だということは、その前提となる犯罪成立の要素すなわち構成要件該当性と違法性とは、故意犯と過失犯の両者に共通だということである。(平野龍一『刑法 総論Ⅰ』(有斐閣、1972年)191頁)
流相: え~!
そうだったんですか?
ということは、殺人罪も過失致死罪も構成要件・違法性は同じということに・・・
考えられない!
阪奈: 平野先生は、その教科書で、こう言っているわ。
たとえば、故意の殺人と過失致死とは、同じ構成要件に該当するものであり、違法阻却事由の存否も、故意犯であるか過失犯であるかに関係なく判断される。(平野・前掲書191頁)
流相: え~!
考えられない!
阪奈: でもそれは、伝統的な旧過失論の考え方であって、旧過失論に立つ平野先生はその伝統的旧過失論を修正しているわね。
過失行為は、単に結果に対して因果関係があるというだけの行為ではなく、結果発生の「実質的で許されない危険」を持った行為であり、その危険の現実化として結果が発生したとき処罰する(平野・前掲書193頁)
阪奈:とされているわ。
つまり、過失犯にも過失の実行行為(=結果発生の「実質的で許されない危険」を持った行為)が必要だと主張しているの。
しかも、平野先生は丁寧に、体系上の意義についても書かれているわ。
この危険性という要件の持つ、犯罪論の体系上の意義について一言しておこう。このような「行為の危険性」を犯罪の成立要件として要求することは、行為と結果との間に因果関係さえあればよい、という伝統的な考え方に対する一つの修正である。(平野・前掲書194頁)
神渡: ということは、旧過失論の立場からも、過失行為つまり、過失の構成要件該当行為を共謀するということは考えられるということよね?
阪奈: そうなるわね。
松原先生はこうおっしゃっているわ。
旧過失論であっても、結果邪気の実質的な危険のある行為を過失犯の実行行為とみるなら、この実行行為を(意識的に)共同することは可能である。(松原芳博『刑法総論』(日本評論社、2013年)438頁)
流相: であれば、旧過失論・新過失論という過失犯の構造は過失犯の共同正犯の議論を左右しないということだよね?
過失犯の構造を過失犯の共同正犯で議論する実益はもはやない?
過失犯の共同正犯否定説は成り立たないという理解でいいのですか?
つまりは、新過失論の勝利ということでしょうか?
玄人: そこはそう単純ではないのだよ。
ここで、共同正犯の議論の射程の問題が出てくるのだ。
そもそも、共同正犯は何のための議論だった?
神渡: それは、一部しか行為していない共犯者に全部責任を負わせるためだと思います。
玄人: 「一部行為全部責任」のことだな。
「責任」という言葉が使われているからややこしいが、共同正犯で問題となるのは、つまり、一部行為者の行為と生じた結果との間に因果関係があるかどうかだ。
単独犯ならば因果関係がない行為であっても、実行行為を共謀したのであれば、共犯者の行為を通じて結果との間に因果関係が認められる、ということを説明するのが「共同正犯」の議論のポイントだ。
阪奈: 松原先生もこうおっしゃっています。
過失の共同正犯においては、過失責任の共同の可否ではなく、実行行為の共同による結果の帰属範囲の拡張と正犯性の付与の当否が問われている(松原・前掲書438頁)
流相: え~と・・・
つまり?
阪奈: つまり、過失犯の共同正犯の議論においては、
過失責任の共同の可否
阪奈:が問題となっているわけではないの。
だって、
過失責任の有無はもともと行為者ごとに検討されるべきもの(松原・前掲書438頁)
阪奈:なのだから。
神渡: あ~、なるほど!
つまり、
・不注意(無意識)を過失の本質と捉える旧過失論からは、無意識の共同は認められないから、過失責任の共同は認められないですが、
・注意義務違反行為を過失の本質と捉える新過失論からは、注意義務違反行為の共同が認められ、過失責任の共同が認められる
神渡:というのが、これまでの議論だったわけですね。
ところが、実は過失犯の共同正犯の議論は、実行行為の共同による結果の帰属範囲を拡張させるための議論だったと・・・
現在では、新旧過失論で過失の構成要件該当行為を認めるわけで、その行為(実行行為)の共謀は可能ですから過失犯の共同正犯の構成要件該当性を肯定することに争いは(ほとんど)ない、といえるわけですね。
流相: ということは、やはり新過失論の勝利ということだ…よね?
阪奈: 違う!
そういうことではないの。
---次回へ続く---