神渡: 阪奈さん、違法性の意識ってむずかしいね。
阪奈: そうね、学説が複雑に入り組んでいるからね。
流相: お~い!神渡さ~ん!
そこにいたんだねぇ。
阪奈: あっ、見つかった…
流相: はぁはぁはぁ、久しぶりに走ったから息が切れた。
探したよ~。
阪奈もいたのか!
阪奈: 知ってたくせに。
流相に分からないように、法学部の隣の棟のロビーにいたのに。
流相: なんでそんな意地悪するんだよ。
俺も入れてくれ。
ところで、何の話?
神渡: 違法性の意識の話なの。
流相: あ~、あれかぁ、あれは厄介だね。
学説はこんな感じになっているよ。
阪奈: そうね。
流相: 判例は、違法性の意識不要説と言われているね。
前田先生は、判例は、違法性の意識不要説ではないと書かれているけどね。
たしか、判例は、違法性を意識し得る程度の事実の認識を故意の内容と捉えている、とかなんとか。
阪奈: その理解は今は置いといて、オーソドックスに既存学説を分析することから始めるべきでしょ!
流相: まぁ、良いけど。
神渡: 学説的には、違法性の意識不要説はないようね。
阪奈: そうね。
要は、違法性の意識必要説内部での争いということになるわね。
流相: この問題はボクたちだけでは手に余るから玄人先生の研究室に行って教えを乞うてこようよ!
阪奈: グッドアイディア!
たまにはいいこと言う!
流相: 一言多いよ。
---5分後---
---コンコン---
流相: 玄人先生、こんにちは、いらっしゃいますか?
玄人: はい、どうぞ。
流相: 失礼します。
阪奈: お邪魔いたします。
神渡: お忙しい中、押しかけてすみません。
玄人: どうしたんだ?今日は。
流相: 今日は、違法性の意識をめぐる学説を教えてもらいに来ました。
玄人: ふむ、なるほど。厄介な部分だな。
阪奈: 学説の分類図で見取り図は分かっています。
神渡: いったい、学説は何をめぐって争っているのでしょうか?
玄人: いきなり本題?
それでは理解するのが逆に難しくなるから、まずは、各学説の内容を押さえることから始めた方が良いぞ!
流相: それは、僕から。
まず、故意説は、違法性の意識(その可能性)を故意の要件とする見解です。
つまり、故意犯が成立するためには、構成要件該当事実の認識に加えて、違法性の意識(その可能性)が必要だとする考えです。
これに対して、責任説は、違法性の意識(その可能性)は故意の要件ではなく、故意犯と過失犯に共通の責任要素とする見解です。
つまり、責任説では、故意説と異なり、違法性の意識(その可能性)がなくても、故意はあると考えます。
神渡: 故意説では、構成要件該当事実の認識があっても、違法性の意識(その可能性)がなければ故意が認められないのに対して、
責任説だと、違法性の意識(その可能性)がなくても、構成要件該当事実の認識さえあれば故意が認められるということですね。
玄人: そうだ!と一応言っておこう。
流相: で、厳格故意説(大塚先生)は、違法性の意識を故意の要件と考えますが、制限故意説(団藤先生)は、違法性の意識は故意の成立には不要で、違法性の意識の可能性さえあれば故意が成立すると考えています。
厳格責任説は、違法性の意識の可能性を故意犯過失犯に共通の責任要素と考えているのに対して、制限責任説は、故意責任の要件として違法性の意識の可能性を必要と考えています。
神渡: 厳格責任説は分かりますが、制限責任説が良く分かりません…
制限責任説は、故意犯が成立するためには違法性の意識の可能性が必要だと言っているのでしょうか?
でもそう考えると制限故意説との違いがなくなると思いますし…
---次回へ続く---