阪奈: もっとも保障されるべき政治的言論の行使について安易に犯罪、ここでは住居侵入罪を成立させていいのか?というのがこの事案に昭和55年最決の射程が及ぶかを検討する際のポイントになると思うわ。
上場: そういうことですね。
では、神渡さんがおっしゃったことを公訴権濫用論にどう反映させたら良いでしょうか?
流相: 政治的言論の優越的地位に配慮して、検察官の公訴権行使をどう縛るか?ということですよね?
上場: 考え方としてはそういうことです。
阪奈: それを考えるに当たっては起訴便宜主義(刑事訴訟法248条)を見てみないと・・・
流相: 起訴便宜主義によると、
犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる(刑事訴訟法248条)。
流相:とあるね。
この起訴便宜主義によると、検察官は、起訴するか否かについて広範な裁量がある。
その裁量を政治的言論の優越的地位に基づき制限していく論理を考える必要があるわけだね。
阪奈: そう。
この起訴便宜主義の規定で注目すべきは、犯罪の「情状」という文言ね。
この文言に、被告人が住居侵入に至った理由やビラ配布行為が政治的言論の行使であったという事情を加味して検察官の裁量を制限するといいのじゃないかしら?
神渡: そうですね。
先ほど検討した、逮捕の必要性の考え方と似ていると思います。
流相: あぁ、そうだね。
逮捕の必要性の判断では、令状裁判官の裁量を制限するという場面で、公訴提起では検察官の起訴裁量を制限するという場面だね。
結局、裁判官や検察官といった国家機関の裁量を制限していくという場面で弁護人は法構成を考えているわけだ。
上場: そういうことになりますね。
神渡: 公訴権濫用論の判例の射程をはずしてあらたな公訴権濫用論の一例を創る気持ちが必要ですね。
流相: 今更ですが、上場先生、そもそも公訴権濫用論についての判例の射程をはずすことってできるんでしょうか?
公訴権濫用論については昭和55年裁決の規範で確定しているようにも思えるのですが・・・
神渡: それは私も思ったのですが、判例を読んでみますと、こう書いてあります。
(検察官の裁量権の逸脱が公訴の提起を無効ならしめる場合のありうることを否定することはできないが、)それはたとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる
神渡:とあります。
流相: 今まで挙げた判示部分と何か変わる部分があるの?
---次回へ続く---