玄人: 犯罪共同説と行為共同説とはどういう内容だろうか?
流相: はい!
標語的に言いますと、
数人一罪⇒犯罪共同説
数人数罪⇒行為共同説
流相:です。
阪奈: いきなり標語で言われてもねぇ…
共犯者が同一の犯罪を共同して実現する、と考えるのが「犯罪共同説」
共犯者それぞれが各自の犯罪を実現する、と考えるのが「行為共同説」
阪奈:ということです。
玄人: うん、そうだな。
では、その根拠は?
流相: それは、
特定同一の犯罪を実現しようとする合意にもとづいて作業分担が行われるところに法の予定する正犯性が生じる(井田良『刑法総論の理論構造』(成文堂、2005)351頁)
流相:と考えるが、「犯罪共同説」で、
因果性さえあれば共同正犯を認めうる(井田良・前掲書)
流相:と考えるのが、「行為共同説」です。
玄人: まぁ、それはそうだな。
流相: (あれ?俺間違ったのか?なんだか、反応が良くないけど?)
先生、間違いでしょうか?
玄人: いや、そうではない。
ただ、これまでに議論してきた共同正犯の処罰根拠・成立要件とどう関係するのかを聞きたいんだ。
流相: え~と…
神渡: 共同正犯の処罰根拠には2つありました。
(1)実行行為の相互利用補充関係に注目する「相互利用補充関係」説
(2)(双方向的な)因果性に注目する「法益侵害の共同惹起」説
神渡:です。
共同正犯の成立要件は、
神渡:です。
流相: そういえば、そうでした。
ですが、玄人先生、どの説からでも成立要件は同じだったはずです。
謀議⇒実行行為⇒結果
流相:です。
「謀議に基づく実行行為」という点で共通します。
謀議に基づく実行行為というためには、特定同一の実行行為について謀議しなくてはならないのではないでしょうか?
てんでばらばらの実行行為について謀議するということは私には考えられません。
そうすると、「行為共同説」はありえない、と思うのですが…
玄人: 「行為共同説」はあり得ない、という人たちが「犯罪共同説」を主張しているわけだ。
でも、実際には、「行為共同説」を主張する人もいる。
ということは、何か理屈があるのだろう。
その理屈が何か?ということだ。
神渡: たしか、
複数人の行為を結合して1つの”実行行為”を複数人が実行したといえるかを重視するのが「相互利用補充関係」説で
各自の行為と結果との間の”因果性”を重視するのが「法益侵害の共同惹起」説
神渡:だと、玄人先生はおっしゃっていました。
実行行為の分担を重視する「相互利用補充関係」説からは実行行為の分担についての謀議が必要となりますから特定同一の実行行為についての謀議を要求する「犯罪共同説」が導かれるような気がします。
流相: た、たしかに…
じゃあ、「行為共同説」は、どういう理屈なんだろう?
神渡: 「法益侵害の共同惹起」説は、各自の行為と結果との間の因果性を重視します。
つまり、各自の行為から結果が生じたのかを問うのが「行為共同説」です。因果的共犯論の考えがベースとなっています。
単独では自己の行為と結果との間に因果関係がなくても、行為の謀議をした他者の行為から結果が生じた場合は、謀議を介して結果への因果性が認められます。
たとえば、
甲殺害の意図を持つAと傷害の意図しか持っていないBがナイフで甲を刺すことを謀議し(ただし、Aが甲殺害の意図を持っていたことをBは知らなかったとします)、ABともにその謀議に従い甲をナイフで刺し、その結果甲は死亡したが、致命傷はBの行為から生じた。
神渡:という事例で検討したいと思います。
阪奈: 具体例で検討したほうがわかりやすいわよね。
神渡: この場合、単独犯だと、Aは殺人未遂罪(199条)、Bは傷害致死罪(205条)となります。
流相: そうだね。
で、「犯罪共同説」だと、ABは同一の犯罪の共謀をしていないから、殺人罪と傷害致死罪の共同正犯は成立しないことになる。
傷害致死罪の限度で共同正犯になるにすぎないね(部分的犯罪共同説)。
神渡: そうなります。
でもこの事例では、AもBもどちらも甲を「ナイフで刺す」という客観的行為の謀議をし、その謀議に従って甲をナイフで刺しています。
つまり、ナイフで甲を刺すという同一の「客観的行為」を共同しているわけです。この共同により、単独では因果関係の認められないAの行為に甲死亡結果を帰属させることができます。
ですので、因果的共犯論の考えからは、同一の「客観的行為」の共同があれば共同正犯を認めることができる、ということになるのではないでしょうか?
流相: わかったような気もするんだけど…
でも、異なる犯罪間で共同正犯を認めることにはどうも違和感があるんだよなぁ…
---次回へ続く---