流相: 山口先生の新説を答案に書く人はいないだろうし、勉強するだけ無駄では?
阪奈: 行為無価値論をただ覚えているだけの流相からしたらそうなるでしょうね。
ただ、私は、理解したいの!
試験に出る出ないは、だからあまり関係ないの、私には。
流相: そこまでやらなくても…
理解しているように見えれば試験的にはOKなわけで、本当に理解するなんて時間的に無理でしょうよ。
神渡: で、でも私は、ロースクールに来て初めて法律を勉強しているからできる限り覚える量は減らしたい…です。
だから、試験に出ない説であっても、理解に役立つのなら知りたい!
流相: た、たしかに!
それは言えるね、神渡さん。
僕だって理解したくないわけじゃないんだよ?
時間との関係での話であって…
ということなので、山口先生の新説を教えて、阪奈。
阪奈: 相変わらずお調子者ね!
でもまぁ良いでしょう。
とはいえ、山口先生、難しいこと言っているから私の理解する範囲でしか話せないけどね。
神渡: 私も、ちゃんと山口先生の本を買って読んでいるから。
流相: 僕は読んでないけどね。
阪奈: まず、何故山口先生がこれまでの考えを変えたのか?本にはこう書かれているわ。
これまで学説・実務が消極説に対して執拗に抵抗してきたことには全く理由がないわけではないであろう。やはり、共犯の適切な成立範囲を確保することが求められることは否定できない。(山口厚『刑法総論[第3版]』(有斐閣、平成28年)373頁)
流相: なるほど。
山口先生も結論の妥当性を確保することが大切だということにやっと気が付いたんだね。
阪奈: なんか、あんたが言うとイライラするわね。
山口先生が馬鹿にされているようで。
そもそも、処罰の妥当性は皆が考慮する部分よ。
ただ、刑法では、国家刑罰権が恣意的に行使されないように理論で縛りをかけるという点に重きが置かれるわけで、その意味で、本来は、処罰の妥当性は恣意的な国家刑罰権行使の抑制に次ぐ第二次的な目標に過ぎないのだから。
神渡: 特に、結果無価値論では、恣意的な国家刑罰権を抑制するということを重視しているように思う。
道義や倫理を重視して全体主義に陥った戦前の刑法学に対する反省という点を重視、刑法から道義や倫理を排除しようとして登場したのが結果無価値論だから。
阪奈: そうね。
で、そのうえで、
あくまでも後行者が共謀加担した後の事実だけについて共犯責任を問うという立場を維持しつつ、強盗罪・・・について中間説的な結論を導くことを可能にする法的構成がないかが検討されてよいと思われるが、そのおゆな結論を導くことは全く不可能でないであろう。(山口厚『刑法総論[第3版]』(有斐閣、平成28年)373頁)
阪奈:とされているのよ。
そして、「試論ではあるが」として、因果的共犯論を維持しつつも、中間説的結論を導く法的構成について検討していくわけ。
流相: そんな法的構成が本当に可能なのかねぇ?
無理筋な気がするんだけど…
阪奈: まずは、山口先生の考えを検討することから始めないと。
途中で、邪魔ばかりしたら怒るから。
---次回へ続く---