流相: 行政法の判例を憲法で書いても…
いったいどこに憲法論が?
阪奈: 立派に憲法論はあったじゃないの!
審査密度を高めるために、裁量過程を統制したのが、憲法論よ!
表現への萎縮効果を避けるために、裁量過程統制論を採用したのだから。
流相: あっ、そうだったね。
どうも、違憲・合憲の話じゃないから憲法の答案じゃないような気がするんだよねぇ。
じゃ、次はA市の反論だね。
なんか今までの議論で十分な気もするんだけど?
神渡: 採用における裁量論を積極的に根拠づける憲法的議論が必要になるのではないでしょうか?
流相: 採用においては、A市に裁量があるということ以外に憲法的議論はあるの?…
あっ、A市にも誰を採用するかの自由があるということかな?
神渡: それは、A市に人権が保障されるということですか?
流相: そういうことになりそうだけど、何か変な気もするねぇ。
人権は国民に保障されるのであって国家に保障されるものではないのだから。
阪奈: 1つ考えられる構成は、蟻川先生がおっしゃる「使用者としての政府」という考え方(蟻川恒正「日本国憲法における公と私の境界」辻村みよ子=長谷部恭男編『憲法理論の再創造』(日本評論社、2011年)19頁~)かしら?
採用の場面では、国家も民間企業などの主体と同様の地位に立つから、誰を採用するかの自由を有するという。
神渡: へぇ~。
そういう考え方があるんですね。
払猿: よく勉強されていますね。
三菱樹脂事件で、最高裁は企業者に雇用の自由を認めていますね。
何といっていましたか?
流相: はい。
企業者は、・・・自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、…原則として自由にこれを決定することができる
流相:と判示しております。
A市を「使用者としての政府」と位置付けることができるならば、企業者と同様にA市に雇用の自由が認められることになりますね。
神渡: ということは、問題は、A市を「使用者としての政府」と位置付けることが可能なのかどうか、ということですね?
阪奈: それに加えて、あと一段反論を用意しておくべきとも思います。
裁量論で押し切る反論です。
Y採掘事業では高い経済効果と税収・雇用の増加が見込まれるため、高度の政策的判断が要求されます。
そこで、誰を採用するかについては政策的判断に優れている行政の判断を尊重すべきだ、とA市は反論するでしょうね。
この二段構えで反論を用意しておくと良いかと思います。
---次回へ続く---