神渡: 現在では、刑法の目的を「法益保護」とする点で争いはないはずです。
そうしますと、「不法共犯論」ではなく、「因果的共犯論」になるべきにも思うのですが・・・
流相: そういえばそうだよね?
どうしてだろ?
もしかして、行為無価値論は、「法益保護」を軽視して「社会倫理」を重視しているのかな?
玄人: いやいや、そう判断するのは早計だ!
たとえば、行為無価値論の代表者である福田平先生の本にはこう書かれている。少し長いが引用しておこう。
刑法の任務が法益の保護にあることは当然のことであり、法益の保護が刑法の重要な機能の一つであることは、本文で述べている通りである。問題は、法益の保護か社会倫理の保護かではなく、法益を保護するために刑法はなにをなすべきかということである。そして、われわれは、刑法規範が、法益侵害を志向する行為を禁止するという意味で人々の意思に働きかけ、規制的に機能することによって法益保護を担保するものであることを主張するものなのである。(福田平『全訂 刑法総論(増補版)』(有斐閣、平成4年)4頁注(一))
神渡: つまり、法益保護を担保するものとして、法益侵害を志向する行為を処罰対象とする、ということですね?
玄人: そういうこと。
阪奈: さらに言うと、行為無価値論者は、刑法の法益保護機能を担保するものとして、刑法の規制的機能を重視しているということだと思います。
玄人: 刑法の機能という点まで遡るとそういうことになる。
福田先生の上記本にも書いてある。
刑法規範が、法益侵害を志向する行為を禁止するという意味で人々の意思に働きかけ、規制的に機能することによって法益保護を担保する
流相: 深いですねぇ・・・
玄人: そうであるなら、どうなる?
神渡: ええと、
行為無価値論からは、法益保護のためには、法益侵害を志向する行為を実行行為と捉えた上で、その実行行為を処罰対象行為とし(刑法の規制的機能)、共犯は、その実行行為を創出(促進)したから処罰される、と理解する「不法共犯論」を導くことも可能となります。
玄人: そうだな。
「不法共犯論」も「因果的共犯論」と同じく「惹起説」でくくって考えてもいいんだが、両説の大きな違いに注意しておかないと共犯という暗黒の世界から抜け出せないから要注意だ。
---次回へ続く---