玄人: さて、今度は「過失犯の共同正犯」を検討しよう。
具体例としては次のものがある。
人を野獣と誤認して、甲乙が意思の連絡のもとに、これに向かって発砲した(団藤重光『刑法綱要総論(第三版)』(創文社、1990年)393頁)
玄人:場合だ。
今は亡き団藤先生の本にある事例だ。
余談だが、私がとても尊敬している先生なんだ。哲学的基礎がしっかりとある重厚な学説で、学生時代にはまった本だった。
今は、団藤先生の学説からはかなり離れてしまったが、今でも時折団藤先生の本を調べることがある。
おっと、このままだと本筋からずれるのでここで戻そう。
上の事例で、過失犯の共同正犯を議論する実益があるのはどういう場合だ?
神渡: それは、たとえば、乙の弾丸だけが人に命中した場合です。
玄人: うん、そうだ。
もし、過失犯の共同正犯が成立しないとすると、この事例ではどうなる?
神渡: 乙に過失致死罪(210条)か業務上過失致死罪(211条前段)か重過失致死罪(211条後段)が成立します。
玄人: そうだな。
ま、ここでは、業務上過失致死罪ということにしておこう。
で、甲はどうなる?
神渡: 甲に犯罪は成立しません。
玄人: 何故?
神渡: 甲の発砲行為と人の死亡結果との間に因果関係がないからです。
玄人: それだけ?
神渡: えっと・・
流相: (他に何かあったっけ?)
阪奈: 過失未遂罪の処罰規定もないからです。
玄人: そう!その通りだ。
じゃあ、過失犯の共同正犯が成立する場合はどうなる?
流相: それはもちろん、甲にも業務上過失致死罪が成立します。
玄人: なんでだ?
流相: 一部行為全部責任原則があるからです。
玄人: その通り。
甲に業務上過失致死罪が成立するためには、甲乙に過失犯の共同正犯が成立しないといけないわけだ。
では、過失犯の共同正犯の成立が認められるだろうか?
流相: これについては、肯定説と否定説がありまして・・・
玄人: ちょっと待て!流相。
いきなり学説にいくんじゃない!
そもそも、過失犯の共同正犯の成立を巡って、何故争いがあるんだ?
流相: え~と・・・(なんでだっけ?)
玄人: 共同正犯の成立要件はなんだ?
流相:
(1)共謀
(2)実行行為
(3)共謀と実行行為間の因果関係
流相:です。
つまり、
共謀に基づく実行行為
流相:が共同正犯の成立要件です。
玄人: 過失犯にその要件が当てはまるのだろうか?
流相: 共謀に基づく過失行為が成立するか?ということですか?
玄人: そうだ!
神渡: なんか変な感じがします。
過失は、結果発生を意図していない犯罪ですから過失犯の共謀をすることはできないような気も・・・
玄人: うん、良いところをついている。
問題は、過失犯というものをどう捉えるか?という点にあるんだ。
団藤先生は、こう書いている。
過失行為は、もともと、その主観的方面において、意識的なものから無意識的なものにまたがる領域を占める。意識的な部分が決して過失行為にとって本質的なものではない。意識的な部分についての意思の連絡をもとにして、過失犯の共同正犯の成立を論じるのは、過失犯の本質に即した議論ということができないであろう(団藤・前掲書393頁)
神渡: 過失犯の共同正犯の成否を巡っては、過失犯の本質の議論が絡んでくる、というわけなんですね。
阪奈: そうね。
過失犯の本質を団藤先生のように無意識的な部分に求めると、無意識について共謀が成立することは論理的にあり得ないわね。共謀は、意識的な行為なんだから。
流相: あ~、なるほどね!
つまり、こういうことだね。
(1)過失犯というのは、無意識的なものだ。意識的ものではない。
(2)共謀は、意識的な行為だ。無意識の共謀はありえない。
(3)とすると、過失犯の共謀は論理的にあり得ない。
(4)だから過失犯の共同正犯は成立しない。
玄人: そういうことだ。
阪奈: この議論の発端は、過失犯の本質を巡る議論にあるということね。
流相: なるほどねぇ~。
よく分かった。
これでやっとスタートラインに立ったということかな?
---次回へ続く---