昨日は、玄人先生の都合で、話が途中になってしまった。
奥さんと仲直りできただろうか?
「奥さんの誕生日を忘れたらダメだよ」
と独り言を言いながらいつものように電車に乗って学校へ向かった。
法学概論を受講後、玄人先生に質問に行き、研究室へ移動した。
神渡 :昨日は、奥様と喧嘩になりませんでしたか?
玄人 :いや、大変だったよ。もうカンカンに怒ってて。予定していたプレゼントよりもはるかに高いイヤリングを買ってご機嫌を取ったよ。
神渡 :それで済んで良かったと思いますよ。
玄人 :ティファニーだよ。あんな小さいのにあんなに高いなんて意味わかんないよ。何が良いんだか。
でも、まぁ、それで済んで良かったんだろうね。
それで、昨日の続きなんだけど、裁判官の解釈の話だったね。
神渡 :はい、そうです。
裁判官は、法律に拘束されるのであれば、法律を機械的に適用するのが裁判官の仕事になるんでしょうか?
玄人 :それは、違う。
モンテスキューというフランスの学者は「裁判官は法を語る口でなければならない」という趣旨のことを言っていたけど、それは、フランス革命以前の裁判所が王政側で、市民を弾圧したという歴史的背景があったからなんだ。その歴史を踏まえ、モンテスキューは裁判官の法解釈を厳格に縛るということを考えたんだ。裁判官の法創造を否定する考えだ。
神渡 :あ、そのことは、法学概論の教科書に書いてありました。でも、その後、リアリズム法学が、実際には裁判官も法を創造しているということを主張したというふうに書いてありました。
玄人 :お!よく勉強しているね。まさか、私が指定した本を真面目に読む学生がいたとは・・・。
神渡 :えー!
もしかして、学生が読まないと思いながらあの本を指定されたんですか?
玄人 :い、いや、そんなことは・・・。
神渡 :私は、あの本を読んでも良く分からないので、自分の学力が足りないと自信を喪失しているんですよ。
玄人 :そうだったんだ。 でも、あの本は結構難しいからね。分からなくても気にしなくて良いんだよ。
神渡 :そんなぁ(真面目に読んで損したかな)。
玄人 :それはさておき、現在では、裁判官が法を創造しているという点では一致していると言って良いだろう
神渡 :そうすると、裁判官も自己の価値観を判決に反映させているという理解で良いのですか?
玄人 :いや、それはまた違う。裁判官が法を創造しているといっても、あくまでも法律の範囲内でだけなんだ。
神渡 :よく分かりません。
玄人 :法律には、特に最近の法律には、1条に目的規定があるんだが、その目的規定には、当該法律が実現すべき価値やその実現方法などが書かれていたりするんだ。裁判官は、その目的規定に規定された価値に依拠して判決をするんだよ。
ということは、裁判官個人の価値判断がその目的規定の価値と異なる場合、裁判官は、自己の価値判断ではなく、目的規定に規定された価値に依拠して判決しなければならないという職責を負うんだ。
神渡 :法を創造するとはいえ、国会議員よりも窮屈なんですね。
玄人 :そうだよ。
例えて言うと、裁判官は、「カゴの中の鳥」で、国会議員は「大空の鳥」ということになるかな。
神渡 :ああ、なるほど!
玄人 :だから、具体的妥当性といっても、法律の枠組の中で(カゴの範囲内で)考慮すべきだと私は考えているんだ。法律家を法律家たらしめるものは、法律という「ものさし」を使うことにあるからね。その「ものさし」が事案に応じて柔軟に伸縮したのでは、もはや「ものさし」の役目を果たさないだろう。
神渡 :そうですね。
でも、法律と一口に言っても、憲法・民法・刑法・商法・訴訟法・行政法など様々な法律がありますよね。
玄人先生がおっしゃる考え方は、その全ての法律に妥当する考え方なのですか?
玄人 :良いところに目を付けるねェ。
法解釈を巡る争い、いわゆる法解釈論争は、日本では民法でまず問題となったんだ。具体的妥当性を重視する「利益衡量(考量)論」がそれまでの法的安定性を重視する解釈論と論争をしたんだ。民法などの私法では、「利益衡量(考量)論」の考え方が強くなった時期がある。今は、揺り戻しがあるんだが。
民法を基本とする私法では、「利益衡量(考量)論」が出てくることは分かる。私法は、対等な立場にある私人間の利害調整がその主目的だ。だから、当事者間の公平を図るべく「利益衡量(考量)」で決するということは分かる。
しかし、刑法は、国家と私人を規律する公法だ。公法のうちでも刑法は、刑罰という害悪を課す法律だから、厳格な適用が必要となる。そうでないと、一般国民の処罰感情に左右されて恣意的に刑法が適用されることになる。私が説明した考え方(法的安定性が具体的妥当性に優先する)は、刑法学者を含め公法研究者では強いだろう。
なので、公法と私法では、解釈論のスタンスは違うといえるだろう。でも、私法でも「利益衡量(考量)論」からの揺り戻しがあることをみると、やはり、法律解釈論の基本は法的安定性にあるという理解が良いのではないかな?
神渡 :ところで、私が質問していてなんですが、この議論は、司法試験合格を目指す私たちにも関係しますか?
玄人 :それが大ありなんだよ。
まぁ、試験上、法解釈論争を詳しく知る必要はないけど、法解釈がどういうものかはきちんと知っていないと合格は覚束ないと思う。
学期末試験の答案とかを見ると、法律の試験なのに、条文が1つも挙げられていない答案が多々ある。価値判断だけで答案を書いているんだ。このような答案には、法解釈が何かを全く分かっていないという推定が働く(私であれば、法解釈が何かを全く分かっていないとみなすが・・・)。
法解釈は、法律という枠組の中での解釈なんだ。ということは、条文が必ず出てくるはずなんだよ。
特に、刑法総論では、条文が1つもない答案が多い。
まるで、受験生は、学者が刑法の条文を無視して議論をしていると理解しているかのようだ。
神渡 :刑法は、「罪刑法定主義」くらいしか聞いたことがありません。
玄人 :まだ、刑法の講義はないから良いけど。詳しい説明は、刑法の講義でするから、今日は、これくらいで良いかな?あとは、個別の法律の論点を理解する際に具体的に検討していけば良いと思うよ。
神渡 :はい。分かりました。
法学が何をしているのか、イメージがわきました。何とかやっていけそうです。
今日もありがとうございました。
神渡は、お礼を言って研究室を出た。
玄人先生とのこれまでの議論で、司法試験合格への道筋が見えたような気がした。
「実際の所はどうか分からないけど、まずは気持ちが大事だよね」
と呟いた。
来週からは、刑法の講義が始まる。
その前に、玄人先生が指定した教科書(何だったっけ?後で確認しとこう)を気楽に読んでみよう。