先週で法学概論は終わった。
法律の基本的な部分を勉強した。
今日から刑法の講義が始まる。
玄人先生が指定した教科書は山口厚先生の『刑法総論』だった。
読んでみたけど、さっぱり分からない。
何が何やら。
自信喪失状態に逆戻り。
初学者には本当に意味が分からない。
う~ん。刑法って何をしているんだろう?
私が教室に入ると、男子学生が1人いた。
入学式の後に、皆自己紹介をしたのだけれど、誰が誰だか覚えていない。
まだ、友達もいなかった。
なので、部屋の端に座って教科書をぱらぱらとめくっていた。
すると、その男子生徒が突然私に話しかけてきた。
男子生徒 :神渡さんですよね。私は、既修者コースの流相(ルソー)です。法学概論の後、いつも玄人先生に質問をしていましたよね。法学部出身ですか?
神渡 :いえ、理系出身です。法律は初めてで分からないことだらけなので、玄人先生に質問をしていたんです。
流相 :そうなんですね。勉強熱心なので、同級生ながら感心していました。是非、友達になってください。(神渡さんって、あの法廷コメディードラマに出てきた女性弁護士に似ていてとても可愛いんだよな~)
神渡 :あ、はい。こちらもお願いします。法学部出身の友達がいると私も助かります。勉強を教えてください。
流相 :こちらこそお願いします。一緒に勉強しましょう。(やった!)
こんなやりとりをしていると、続々と学生が教室に入ってきた。
そして、玄人先生が入ってきて講義が始まった。
玄人 :さて、今日は、刑法の講義初回です。しかも、理論の対立が激しい刑法総論です。そのため、学説の海でおぼれる人が毎年続出します。皆さんが学説の海でおぼれないように、私が羅針盤となって皆さんを合格に導くことが出来るように努力したいと思います。
遅れましたが、私は玄人(くろうど)と言います。
早速、講義に入ります。たとえ、間違いであっても積極的に講義に参加してください。とにかく、鳴かないことには鳴き方をマスターすることはできませんから。
さて、早速ですが問題です。
妻のいる既婚男性が不倫をしました。彼は処罰されるでしょうか?一番後ろの君。
学生A :はい、処罰すべきだと思います。
玄人 :その根拠は?
学生A :人倫に反するからです。
玄人 :なるほど。他に意見のある人は?
流相 :はい。この場合、彼は処罰されません。
玄人 :何故ですか?
流相 :それは、不倫を処罰するという規定が刑法にはないからです。
玄人 :そのことを刑法では何というか知っているかね?
流相 :はい。「罪刑法定主義」といいます。
玄人 :ここで、刑法のキーワードの1つ、「罪刑法定主義」が出てきたね。これは、刑法の出発点なので、詳しく見ていくことにしよう。
さっきの例は、現行刑法の下では「処罰されない」が正解だ。ただ、間違った君も落ち込む必要はない。戦前は、不倫の一部は処罰されていたからだ。不倫を処罰すべきとの意見も社会にはまだ根強くあるだろう。ただ、刑法では、「罪刑法定主義」という基本原理が妥当する。これは、「罪」とそれに対する「刑」は「法定」つまり法律で定めなければならない、ということを内容とする。
たとえば、刑法199条でそのことを見てみよう。神渡さん、刑法199条を読んでくれるかい?
神渡 :はい。
「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」
玄人 :では、神渡さん、この条文で、「罪」を規定したのはどの部分かな?
神渡 :え~と、「人を殺した者」という部分だと思いますが・・・。
玄人 :そうだね。
では、199条は、誤って人を殺してしまった場合も含むだろうか?
神渡 :え~、含まないです。故意犯に限ります。
玄人 :何故かな?
条文は「人を殺した者」としか規定していないよね。誤って人を死に至らしめることも世間的には人殺しと言ったりするよね。たとえば、前方不注意で横断歩道を歩いていた人を車ではねて殺してしまったという場合、被害者の遺族からは、人殺しと罵られたりするのをニュースで見たことはないかな?
神渡 :ありますけど・・・。過失で人を殺すことは別の条文があったような気がしますが。
玄人 :そう、それだ!
刑法では、犯罪毎に条文が定められているんだ。つまり、どういう行為が刑罰を科される「罪」にあたるかは、刑法で個々の条文で定められなければならない。「罪刑法定主義」の下では、「罪」毎にその内容を法定する必要があるんだ。過失で人を殺した場合は、刑法210条、211条に規定があるので、199条は故意で人を殺した場合に限定して処罰する規定と理解するんだ。
玄人 :では、199条で、「刑」を規定しているのはどの部分かな?流相君。
流相 :はい、それは、「死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する」という部分です。
玄人 :そうだね。殺人罪という罪を犯した人は、一番軽くて5年の懲役刑、一番重いと死刑という刑罰が科されるんだ。
では、なぜ、このように、「罪刑」を「法定」しなければならないのだろうか?誰か意見を言いたい人?
教室内は静まりかえった。
流相は、ここで神渡さんに良いところを見せるチャンスだと思った。
流相 :はい。
玄人先生が流相を指さして、その指を少し上に動かし、発言を促した
流相 :何が罪になるか、逆に何が罪にならないか、をはっきりと規定しないと、国民は自分の行動が処罰されるか否か判断することが出来ないからです。
そして、その罪に対してどのような刑罰が科されるかがはっきり規定されていないと、過剰に自由が制限されるからです。
玄人 :そうだ!よく勉強しているね。
流相 :(よっしゃー!神渡さんは見てくれているかな?)
ちらっと教室の左端にいる神渡さんを見るも、神渡さんはじっと玄人先生を見ていた。少しがっかりする流相だった。
玄人 :罪刑法定主義の下では、罪刑の法定がない限り、行為者は処罰されない。しかし、刑法の規定は抽象的であるため、どうしても解釈をすることが避けられない。一例を挙げると、『死』の意味も、心停止をいうのか、脳死をいうのかで争いがある。殺人罪の客体である「人」についても、胎児を含まないことに争いはないとしても、母体から一部でも露出すれば「人」にあたるのか、それとも全部露出しないと「人」にあたらないのか、という争いがある。
このように、罪刑を法定したとしても、解釈が避けられない以上、処罰対象として法定されていない行為を処罰するのか、処罰対象として法定された行為を処罰するのかの限界が問題となることもある。「罪刑法定主義」がある以上、処罰対象として法定されていない行為を処罰することは絶対にできない。判例上、そのことが問題となった事件がある。知っている人?
学生B :はい。カモ捕獲事件があります。
玄人 :どういう事件かね。
学生B :クロスボウで、カルガモ目がけて矢を放ったが、命中しないで、捕獲することが出来なかったという事実に対して、裁判所は、矢を射かけた行為が「捕獲」(鳥獣保護・・・法1条ノ4)にあたるとして有罪とした事件です。
玄人 :この事件で、最高裁は、なんと言った?
学生B :「矢が外れたため鳥獣を自己の実力支配内に入れられず、かつ、殺傷するに至らなくても、・・・捕獲に当たるとした原判断は、正当である」と判示しました。
玄人 :そうだね。この判決を巡って、学説はどうなっているのかな?
流相 :はい。現実捕獲説と捕獲行為説が対立しています。
玄人 :ここでの対立のポイントは何だろう?
流相 :鳥獣法の「捕獲」という文言に捕獲に向けた行為(捕獲行為)を含めることができるか否かだと思います。
玄人 :そうだね。では、流相さんはそれについてどう考える?
流相 :鳥獣の保護繁殖という鳥獣法の趣旨からすると、鳥獣に矢を射かける行為は、周辺の鳥獣を脅かしその保護繁殖を阻害しますから、最高裁の判断は妥当ではないか、と思います。
玄人 :なるほど。他に意見のある人?
神渡 :はい。「捕獲」という言葉は、「捕」つまり捉えること、そして「獲」つまり手に入れること、を意味します。ということは、一般人は、「捕獲」という言葉を聞くと、実際に捕まえて、入手すること、をイメージするのであって、現実に入手しなかった以上、処罰されるとするのは、そのイメージを害し、行動の自由を害するのではないでしょうか?
玄人 :なるほどね。これについて誰でも良いが、反論はないかな?
流相 :はい、はい。
たしかに、言葉に対して持つ一般人のイメージというものは重要ですが、法律は、ある立法目的を達成するために存在しますから、その立法目的から導き出すことが出来る解釈は許されると思います。
神渡 :でも、先程、流相さんは、「罪刑法定主義」は、国民の自由を確保するためにあると言っていました。国民が捕獲という言葉からイメージすることができない行為を「捕獲」に含めることは、まさに国民の自由を侵害することになるのではないでしょうか?
ここで、ベルが鳴った。
玄人先生は、
「罪刑法定主義についてのポイントはこの講義で十分に出ていますから、神渡さんと流相さんとの議論の解決は皆さんへの宿題にしたいと思います。」
そう言って講義は終わった。
講義終了後、流相君が私のところに来て、
「この後、時間ありますか?あるなら、講義の続きをしたいのですが・・・」
と聞いてきた。
私は、特にこの後予定はなかったので、OKした。
その時、流相君が小さなガッツポーズをしたのが目に入った。
(何をやっているんだろう?)
そう思いながら、2人で談話室へ向かった。