今日の刑法総論の講義予定は、シラバスによると因果関係となっている。
電車に乗りながらシラバスを見ていると、車両の端の方から
「神渡さ~ん」
と呼ぶ声が聞こえる。
顔を上げると、流相君だった。
息を切らしている。
神渡 :どうしたの?そんなに息を切らして。
流相 :いや、駅で神渡さんを見かけたので、遠くから声を掛けたんだけど、周りがうるさかったせいか、神渡さんは気づかずに電車に乗っちゃったんだ。で、ベルが鳴っていたから走って階段を上って電車に飛び込んだというわけ。
神渡 :あ、ごめんなさい。全然気がつかなかったわ。
流相 :(それはショックだなぁ)
いやいや、神渡さんが謝ることではないから。
何を見ているの?あ、シラバスね。
神渡 :そう。今日の刑法の講義は、シラバスによると「因果関係」となっているわけ。刑法で因果関係って何をするんだろうと思って。山口先生の本を読むとよく分からなくなっちゃって。
流相 :たしか、玄人先生が教科書に指定しているよね。山口先生の学説は難しいんだよね。頭が切れる人だからだろうけど。
でも、試験的には、相当因果関係説の折衷説か客観説を理解すれば良いんじゃないかな?あ、あと、判例の理解も必要だと思うけどね。
神渡 :そうなのね。でも、その理解が難しいのよねぇ。
流相 :たしかにね。学説の理解も大変だけど、さらに判例の理解も・・・(そのまま因果関係について話し続けている)。
私は、流相君の話を聞き流しながら、自分が勉強した因果関係についての学説を思い出していた。
「で、実行行為の危険が・・・」
「条件関係を前提に・・・」
流相君はまだ、何かをしゃべっていた(よくしゃべるなぁ)。
学校がある駅に着き、流相君と一緒に学校へ向かった。
教室に着くと、鞄から本を取り出して予習を始めた。
しばらくすると、玄人先生が教室に入ってきた。ベルは鳴っていないけど、皆揃っているようだからと言って講義を始めた。
玄人 :え~、では、講義を始めます。今日は、因果関係です。因果関係は、最近学会でもホットなテーマです。重要な判例も続出していますし。
そもそも、因果関係って何でしょうか?
学生C :はい。条件関係が認められる行為のうち、相当性があるものをいいます。
玄人 :う~ん、そうだろうけど・・・。もっと常識的に、因果関係とはなんでしょうか?
学生D :「原因と結果の関係」をいうと思います。
玄人 :そうですね。原因と結果の関係にいう「原因」と「結果」は刑法では何に当たりますか?
流相 :はい。
「原因」は実行行為で、「結果」は殺人罪でいえば人の死です。
玄人 :そうですね。そうすると、因果関係とは、実行行為と結果との間の関係をいうことになります。因果関係を検討するには、まず実行行為があるかを検討する必要があることになります。そして、結果の発生があるかを検討して、その上で、その実行行為とその結果との間に因果関係があるかを検討するという順序になります。
学生D :先生、そうすると、結果が発生しない以上、因果関係を検討する必要はないということですよね?
玄人 :そうです。といいたいところだが、必ずしもそうではない。結果無価値の観点から未遂犯にも未遂結果を要求する立場がある。その立場からは、その未遂結果と実行行為との間に因果関係が要求されることになるんだ。これは、未遂犯のところで検討するから今はこれくらいにしておこう。分からなくても今は気にしないように。
まずは、因果関係の検討順序を押さえた上で、どういう場合に実行行為が結果の原因となったと判断すべきかという問題に入ろう。この問題については、二段階で判断するというのが通説的見解だ。どういう内容か知っているかな?
学生E :条件関係があることを前提に、相当性で絞るんだと思います。
玄人 :そうだね。では、条件関係から検討してみよう。
条件関係とは何だろう?
流相 :「この行為なければこの結果なし」という関係です。
玄人 :そうだね。一般的にはそう言われているね。
では、AさんとBさんが意思の連絡なく致死量の毒薬を、甲が飲む飲み物に混入させて、ABが混入した毒薬が甲に作用し甲が死亡した場合、Aの行為と甲死亡結果との間に条件関係はあるかな?ただし、致死量が二倍になったからといって甲の死亡が早まったとはいえないという条件をつけておこう(択一的競合事例)。
流相 :この場合、Aが毒薬を混入させなくてもBが混入させた毒薬で甲は死亡したのですから、Aの毒薬混入行為がなくても甲死亡結果はあったといえます。ですので、Aの毒薬混入行為と甲死亡結果との間に条件関係はありません。
玄人 :条件関係の公式を使うとそうなるよね。でもそれで良いのかな?
流相 :良くないです。ですので、ABの毒薬混入行為を除けば甲死亡結果が発生しなかった場合は、条件関係を認めると条件関係を修正すべきです。
玄人 :通説はそう言っているね。でも、ABは共犯者ではないのに、ABの行為を併せて取り除くことができるとは私には思えない。
流相 :たしかにそうですよね。でも、通説はそう解しているので・・・。
玄人 :受験的にはそれで良いかもしれないね。でも通説が条件関係を修正するのに理屈がないという点は問題だ。結局、処罰すべきだから条件関係を認めてしまえ、と言っているわけなのだから。
そもそも、因果関係とは何だっただろうか?実行行為が結果の原因となったことだったね。ある行為が原因となって結果が発生するのは、ある行為が結果に作用したからだ。ということは、因果関係の判断は実行行為が結果に作用したかを確認するためにあるはずだ。行為が結果に作用したかの判断は、経験則・科学法則に基づき行うべきものだ。そうであれば、行為が結果に作用していれば条件関係の公式にこだわる必要はない。最近は、この考え方を「合法則的条件関係説」と呼んだりする。
私としては、この考えが正しいと思っている。条件関係についてはこのくらいにして、次は相当性の議論に移ろう。その後、講義の後半で判例を検討してみよう。ちなみに、先の択一的競合事例では、Aが混入した毒薬は甲に作用したという前提だったから、合法則的条件関係説から条件関係を肯定することが出来る。
相当性についてはどういう議論があるだろうか?
神渡 :はい、主観説と折衷説と客観説の対立があります。判断基底について、主観説は、行為当時に行為者が認識予見した事情および認識予見しえた事情を、折衷説は行為当時に一般人が認識予見可能な事情および行為者が特に認識予見していた事情を、客観説は行為当時に客観的に存していた全事情および行為後に生じた客観的に予見可能な事情を、それぞれ判断基底とします。
玄人 :そうだね。これらの学説は自己の体系にしたがって主張されている。
主観説は、犯罪理論における主観主義(行為者の危険性を考慮して刑罰を科す)に基づき主張されている。これに対して、折衷説・客観説は犯罪理論における客観主義(行為に対して刑罰を科す)に基づき主張されている。
現在、主観主義の主張者はいないから、主観主義に基づく主観説は既に過去の説と言って良いだろう。現在は、客観主義を前提とした折衷説と客観説が対立している状況だ。
折衷説と客観説は、同じ客観主義陣営でありながら対立している。その根本原因は、刑法の役割を巡る議論の対立にある。折衷説も客観説も刑法の役割を法益保護に求める点では現在争いはないと言って良い。違いはそれに尽きると考える(結果無価値論=法益侵害又はその切迫した危険があった場合に処罰するとの考え)のか、法益を保護するために法益侵害を志向する行為を処罰して法益侵害を事前に防止することにあると考える(行為無価値論)のかにある。
法益侵害の事前防止(行為無価値論)の観点からは、一般人が認識可能な行為時の事情は因果関係の判断基底に含めるべきだ。なぜなら、一般人が認識し得た以上、行為を思いとどまるように行為者に働き掛けることが法益侵害の事前防止に役立つからだ。また、行為者が特に認識していた事情も判断基底に含めるべきだ。なぜなら、法益侵害の事前防止の観点からは、かかる認識がある行為者に行為を思いとどまるように働き掛ける必要があるからだ。
これに対して、法益侵害(危険)があった場合に処罰する結果無価値論の立場からは、法益侵害(危険)という結果の発生を待って刑罰を科すのだから、結果発生時に既に存在していた全事情を判断基底とすることができるんだ。
ま、折衷説、客観説にはこのような大きな違いがあることは押さえておくと良い。
神渡 :学説の分岐については分かったのですが、学説によって事案の処理に違いは出てくるのでしょうか?
玄人:たとえば、脳梅毒を患っている人の頭をコツンと叩いたという事例で考えてみようか。脳梅毒を患っている人は軽い暴行でも脳組織が崩壊して死に至ることがあるらしい。
主観説によれば、行為者が被害者の脳梅毒を認識していたか、認識可能であったならば、被害者の脳梅毒という事情が考慮されて因果関係を判断することになる。この場合、脳梅毒患者の脳を叩けば死に至ることはあるので、相当性があることになる。しかし、行為者が脳梅毒であることを知らず、かつ知り得なかった場合は被害者の脳梅毒という事情は考慮されない。そうすると、健康な人の頭をコツンと叩く行為から死の結果が発生することはほぼないので、相当性が認められないということになる。
では、折衷説と客観説ではどうなるかな?誰か答えたい人?
流相 :はい。
折衷説では、被害者が脳梅毒を患っているという事情を一般人が知り得た場合か、行為者が特に知っていた場合には、その事情が判断基底に取り込まれて因果関係が判断されます。そうすると、脳梅毒患者の脳を叩けば死に至ることはあるので、相当性があることになります。一般人がその事情を知り得ず、かつ行為者も知らなかった場合は、相当性は否定されます。
客観説では、行為者の知・不知、一般人の認識可能性にかかわらず、被害者の脳梅毒という事情は考慮されますから、相当性が認められます。
玄人 :そうだね。主観説では、誰が見ても脳梅毒患者だという分かっていても、行為者が知り得なかった場合はその事情を因果関係の基礎事情に取り込めないんだ。まるで、目をつむれば世界は存在しないかのような考え方だね。
折衷説は、その点、一般人が脳梅毒患者であると知り得た場合は、行為者の認識の有無・可能性を問わずにその事情を因果関係の基礎事情に含めることができる。
そして、客観説では、一般人が認識不可能であっても、行為時に存した脳梅毒を患っているという客観的事情は因果関係の基礎事情に取り込むんだ。
神渡 :分かりました。
では、因果関係について判例は、どう考えているのでしょうか?客観説なのでしょうか?条件説なのでしょうか?
玄人 :この点は今日の講義のポイントになる。
判例が因果関係をどう考えているか、実は良く分からない。学者もこうだああだ、と議論をしている。ただ、最近、判例は「危険の現実化説」を採用しているのではないか?という議論が強い。山口先生もそう分析している。
講義の後半へ続く・・・。