玄人 :判例が因果関係についてどう考えているかは、学者の間でも議論がある。
最近は、判例は「危険の現実化説」を採用しているのではないか?という議論が強くなってきた。山口先生もそう言っている。この説は、「実行行為に含まれる危険が結果へと現実化したか」を問う説だ。この説で、判例で問題となった事案を検討してみよう。
平成15年7月16日の最高裁決定(以下、平成15年決定)が面白い。だれか事案を説明できる人?
学生E :はい。複数の者から集団で深夜に2時間以上にわたり公園、自宅マンションなどで激しい暴行を受けた被害者が、自宅マンションから靴下履きのまま逃走し、約10分後に、マンションから800mほど離れた高速道路に侵入したため、自動車にひかれて死亡したという事案です。
玄人 :そうだね。最高裁は、なんと言った?
学生E :え~と(百選の該当箇所を読む)、「被害者が逃走しようとして高速道路に侵入したことは、それ自体極めて危険な行為であるというほかないが、被害者は、被告人らから長時間激しくかつ執ような暴行を受け、被告人らに対し極度の恐怖感を抱き、必死に逃走を図る過程で、とっさにそのような行動を選択したものと認められ、その行動が、被告人らの暴行から逃れる方法として、著しく不自然、不相当であったとはいえない。そうすると、被害者が高速道路に侵入して死亡したのは、被告人らの暴行に起因するものと評価することができるから、被告人らの暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定した原判決は、正当として是認することができる。」と判示しました。
玄人 :この判例は、被害者死亡の直接の原因が、被害者が高速道路に侵入したことにあるとしても、被告人らの暴行と被害者の死亡結果との間に因果関係を認め、被告人に傷害致死罪を認めたものだ。
しかし、被害者死亡の直接の原因は、被害者が高速道路に侵入したことにあるのだから、被告人の行為と被害者死亡結果との間に因果関係は認められないのではないか?最高裁は、何に着目して因果関係を認めたのだろうか?
流相 :はい。判示によれば、長時間にわたる激しい暴行を受けて、被害者が極度の恐怖感を抱き必死に逃走を図ったという点に着目しています。
玄人 :そうだね。でも、被害者死亡の直接の原因は被害者が高速道路に侵入したことだよね。
流相 :はい、そうです。
玄人 :被告人の暴行行為には、高速道路で車にひかれる危険性は含まれないから、因果関係を認めることが出来なのではないかね?
流相 :判示部分を読みますと、最高裁は、被告人の長時間に及ぶ暴行行為、それに起因した被害者の恐怖感、その恐怖感に基づく判断能力の低下、高速道路への侵入、轢死、という因果経過を想定しているように読めます。図に書いてみます。
そういうと、流相は、席を立って白板の前まで歩き、図を書き始めた。
流相 :このような因果経過を想定していると思います。①があれば、②③を経由して④に至ることは経験則上あることだと思います。そうすると、①には、被害者自身による高速道路への侵入をもたらす危険があるといえるのではないでしょうか?その危険が、被害者自身による高速道路への侵入による轢死に現実化したといえるのではないか?と思うのですが・・・。
玄人 :なるほど。そういう考えが可能だろうな。では、スキューバダイビング事件(最決平成4年12月17日)はどう説明できるだろうか?まず、事案と判示を説明できる人?
学生F :はい。スキューバダイビングの潜水指導者が、不注意で不用意に移動して受講生らのそばから離れ、受講生らを見失しない、受講生らは指導補助者の不適切な指示もあって水中移動中に空気を使い果たし恐慌状態に陥り溺死したという事案でした。
最高裁は、「受講生らの動向に注意することなく不用意に移動して受講生らのそばから離れ、同人らを見失うに至った行為は、それ自体が、指導者からの適切な指示、誘導がなければ事態に適応した措置を講ずることができないおそれがあった被害者をして、海中で空気を使い果たし、ひいては適切な措置を講ずることもできないままに、でき死させる結果を引き起こしかねない危険性を持つものであり、被告人を見失った後の指導補助者及び被害者に適切を欠く行動があったことは否定できないが、それは被告人の右行為から誘発されたものであって、被告人の行為と被害者の死亡との間の因果関係を肯定するに妨げない」と判示しました。
玄人 :そうだね。この事案で最高裁が想定している因果経過は次のようになるだろう。
玄人 :この事案でも、被害者の直接の死因は指導補助者や被害者らの不適切な行動にあった。最高裁は、この決定で、これらの不適切な行動は被告人の①行為から「誘発」されたものだ、と判示している。誘発ということは、①行為に、②③を経由して④をもたらす危険性が含まれているということだろう。そうすると、①行為と⑤結果との間に、危険の現実化を認めることが出来る。
平成15年決定は、「誘発」という言葉は使っていないが、長時間の激しいかつ執ような暴行行為が被害者の高速道路への侵入行為を誘発したと説明することもできるだろう。この点で、平成4年決定と平成15年決定は同じ考えに立っていると考えられる。
平成22年10月26日最決では、はっきりと、言い間違いによる本件降下指示の「危険性が現実化」したもの、と判示している。
トランク内監禁事件(最決平成18年3月27日)も同じように分析できるはずだ。各自検討してみてほしい。
玄人 :さて、判例が「危険の現実化説」を採用しているとして、この説は、学説の議論とどう違うのだろうか?判例は、条件関係と相当性という二段階の判断をしているのだろうか?
まず、条件関係と相当性とはどういう関係に立つ?
学生G :条件関係で、事実的つながりを確認し、それを前提に、相当性で規範的観点から因果関係を絞っていますから、条件関係は因果関係を認めるための必要条件で、相当性は十分条件だと思います。条件関係と相当性は、必要十分関係に立ちます。
玄人 :そうだ。「危険の現実化説」はこの二段階判断と同じなのだろうか?
神渡 :これまで検討した判例をみると、どうも実行行為と結果の事実的つながりを検討しているだけのように思います。学説がいう相当性判断は、少なくとも明示的にはなされていないのではないでしょうか?
玄人 :そうすると、判例の因果関係判断は、学説がいう第1段階の条件関係の判断に対応するといえるだろう。判例がとっているとされる「危険の現実化説」は、実行行為と結果の事実的つながりを「危険の現実化」という枠組で判断しているとの理解が妥当なのかもしれない。「危険の現実化」の判断では、科学法則や経験則を用いているのだろう。
そもそも、刑法上の因果関係とは、実行行為が結果に作用したかを問う概念だったね。作用したかという判断は 科学的法則や経験則を用いて事実的に判断するというのが裁判所のスタンスだと思う。実際に、裁判になった場合も鑑定などの科学的判断を用いるわけだし。裁判所としては、事実的つながりがありさえすれば、刑法上の因果関係を認めると考えている可能性はある。
ただ、平成15年決定のように因果関係が遠い場合は、事実的つながりの検討の他に、その行為に結果を帰責して良いのか、という規範的判断が必要となることもあるのではないか?裁判所がその規範的判断も「危険の現実化」の枠組でしている可能性を私は否定できないと思う。
玄人 :そろそろ、時間なので、今日の講義はここまでにしよう。
因果関係は、続出している判例の理解を軸に様々な議論が出てきている。学問的に面白い問題が多い。受験的には、そこまで踏み込む必要はないだろうが、刑法の楽しさを学ぶには格好の問題だと思う。是非、挑戦してみてほしい。法律の基礎力を養うためには、うわべだけではない理解をすることが必要となる。質問があれば私の研究室に来てくれ。
では、今日の講義はこれで終わろう!
来週は、違法性の問題を扱う。該当部分を読んでおくように。
神渡 :今日は、私あまり話できなかったなぁ。次はもっと発言しよう。
でも、玄人先生って、初めは、結構丁寧語なんだけど、途中から言葉使いが変わるわね。熱中するとそうなるみたい。面白い。