玄人:判例の採る「条件関係的錯誤説」が妥当だと考える根拠は?
流相:やはり、生命の重要性です。
自分の命を放棄することに他者が許されない態様で介入することには刑罰をもって対処すべきだと私は思います。
玄人:この点に関して何か意見がある人?
阪奈:はい。
流相:(また、阪奈か・・・)
阪奈:追死事例でのYは動機に錯誤があるとはいえ、死ぬことを正確に認識しています。XはYに死を強要したわけではありません。そうであれば、Xは死ぬ意思がない被害者を殺したとはいえないはずです。
殺人罪(刑法199条)の構成要件は、簡単に言えば、「死ぬ意思がない被害者の生命をその者の意思に反して故意に奪う」ことです。
罪刑法定主義の下では、死ぬ意思がある被害者の生命をその者の意思に反せずに奪う行為を殺人罪で処罰することはできないはずです。
その行為については、同意殺人(刑法202条)の規定が適用されるにとどまります。
判例の見解は、殺人罪と同意殺人罪の区別を相対化し、本来同意殺人罪として処罰すべき行為を重い殺人罪で処罰するものですから、罪刑法定主義違反の疑いすらあります。
流相:(うわ~、阪奈女史、相当お怒りだ!)
いや、僕が言っているのは、動機に錯誤のある同意は無効なので死ぬことの正確な認識を欠いている、だから、「死ぬ意思がない被害者の生命をその者の意思に反して故意に奪う」殺人罪に該当するということです。
こう考える以上、罪刑法定主義違反とはいえないはずです。
玄人:阪奈さんは、「法益関係的錯誤説」からの立論で流相君は「条件関係的錯誤説」からの立論だね。
阪奈:はい、そうです。
流相:はい。
玄人:これら両説の対立は結局どこにある?
神渡:結局、動機の錯誤が同意の無効をもたらすかにあると思います。
「条件関係的錯誤説」は動機の錯誤が同意の無効を来し、
「法益関係的錯誤説」は動機の錯誤は同意の無効を来さない、と考えています。
玄人:この対立点をどう考えるかで結論が変わるわけだ!
実質的な理由から検討しよう。
神渡:この講義の前半でやりました、被害者の同意の実質論と同じかと思います。
「自己決定」と「パターナリスティック」の対立です。
玄人:その理解でいいじゃないかな。
神渡:「自己決定」を尊重すれば法益を放棄する自由も尊重されますから、「法益関係的錯誤説」と親和的で、「パターナリスティック」を重視すれば法益を放棄する自由は制約されますから「条件関係的錯誤説」と親和的です。
玄人:どちらが妥当と考えるかね?
神渡:そうですねぇ、「多様な価値観の公平な共存」という考え方に私は賛成します。
個人的には自殺(自死)の自由を認めたくはありませんが、確信・信念をもって自死する方もおられます。自死は他者の法益を侵害する行為ではありませんので、法益を放棄する自由を最大限保障すべきだろうと考えます。
流相:でも、自死しようとしている人は、精神的にまいっていて、冷静な判断をすることができない場合が多いと思います。
そのように弱っている人の精神状態を利用して、この機会に騙して自死を選択させることは私には許せません。実質的には殺人と変わらないと思います。
阪奈:実質的に殺人というと、「本当は殺人ではないけど・・・」というニュアンスがあるのでは?
そうすると、処罰感情丸出しの刑法適用に見えます。
流相:いや~、でも、判例の事例で殺人罪が妥当と考える人が多いと思うよ。
阪奈:常識で刑罰を適用されたらたまったものではないと思いますけど・・・。
中世の魔女裁判を思い出していただきたいですわね。
流相:(まるで、魔女裁判を見たかのような良いぶりだな。阪奈女史は、中世から生きているのか?)
常識を無視する判決が良いとも思えませんが。
玄人:まぁ、まぁ。実質的な対立点についてはそのくらいにしておこうか。価値判断の問題は、最終的には水掛け論だから。
じゃ、次に理論上の理由に行こう。
・・・その3へ続く。