流相:「法益関係的錯誤説」から
(1)放棄する法益の正確な認識があり、
(2)放棄意思の任意性
が認められる場合に有効な同意があると考える場合、「条件関係的錯誤説」とどこがどう違うのですか?
阪奈:(2)放棄意思の任意性とは、選択可能性があることをいいます。
動機の錯誤があるからといって、直ちに選択可能性がないとはいえません。
「条件関係的錯誤説」は、動機の錯誤をもって直ちに放棄意思の任意性を否定する考えだと思います。
玄人:うん、うん。
じゃ、追死事例はどう説明する。
阪奈:Yが自死する意思を決定したのはXが追死するからでした。つまり、その意思決定過程(動機)に錯誤があります。
しかし、YがXの追死を誤信したからといって、Yに死ぬこと以外の選択肢がなかったとまでは言えないと思います。
ですので、追死事例は(2)放棄意思の任意性も認められます。殺人罪は成立しないことになります。
流相:追死事例では、Xと「別れるくらいなら心中しよう」とYがXに心中をもちかけています。
これは、Yの心理状態としては、Xから別れをもちかけられた時点でXと心中するしか道はなかったのではないか?と思います。
そうしますと、Yは死ぬことしか選択肢がなかったのではないでしょうか?
よって、阪奈さんがいう説からでも殺人罪が成立すると思いますが・・・。
阪奈:う~ん(なかなか良いところを突いてくるわね)
玄人:これは、選択可能性の判断基準の理解に関わる問題だ。
同意の任意性につき法益主体の価値観・心理状態に着目する主観説と、
法益放棄が一般的に見て合理的といえるかに着目する客観説の対立がある。
主観説に立てば、流相君がいったような結論になると私も思う。
では、客観説ではどうなるかな?
恋人と別れるくらいなら心中を選ぶというのは一般的に見て合理的とは私には思えない。だから、阪奈さんがいったような結論になるだろう。必然的にそうなるとはいえないだろうが・・・。
追死事例はこれくらいにして、次は、角膜摘出事件について検討しよう。