玄人:説同士の批判には気をつけないといけない。相手を黒くしておいて、その黒さを批判することが多々あるからだ。学説の分析はしっかりしないといけない。
それはそうとして、「その人」の認識の要否は、規範、構成要件の理解において、両説でどうなっているのだろうか?
まず、抽象的法定符合説から見てみよう。
阪奈:抽象的法定符合説は、具体的法定符合説と異なり、目前の「その人」の認識すら不要とします。
方法の錯誤の事例
≪事例≫
Aが甲1人を殺そうと思ってピストルの引き金を引いたところ、甲の横にいた乙に弾があたり、乙が死亡したという事例
で言いますと、Aは乙を認識していなかったにもかかわらず、甲という「人」を殺そうと認識していたことをもって、「人」を殺す意思はありますから、その意思をもって乙殺害の故意を認めるわけです。
つまり、抽象的法定符合説は、「人」を殺そうと思ったこと自体を非難する見解だと思います。
しかし、刑法には、法益保護機能があります。この機能を重視すれば、法益主体の違いを無視することはできません。ですので、抽象的法定符合説は、非難、主観的帰責だけで刑罰を認める見解といえると思います。
流相:いや、そうではないと思います。
阪奈さんは、抽象的法定符合説は法益保護機能を軽視するといっていますが、この説も殺人罪の保護法益を「人の生命」と捉えていますから、当然に法益保護機能を認めています。
阪奈:それはわかります。法益保護機能を認めない説はないはずですから。
私が言っているのは、抽象的法定符合説は法益保護機能が極めて弱いということです。法益というのは、殺人罪で言えば、個々の被害者の生命です。ということは、法益主体の別は重要になるはずなのです。
流相:そこまで法益主体の別にこだわる理由がやはりよく分かりません。殺人罪で言えば、規範は「生命の保護」という点にあるのであって、個別の法益主体の保護まで具体化されているとは思えないのですが・・・
阪奈:そこです、私が言いたいのは。
たしかに、規範論だけからすると、その通りです。私もそれは認めます。しかし、法益保護機能も考慮するならば、法益主体の別も重視するべきだと言っているのです。
逆に言うと、法益主体の別を重視しない抽象的法定符合説は規範論を重視し、法益保護機能を軽視しているといえると思います。具体的法定符合説は、規範論による処罰拡張を法益保護で限定する見解だと思います。
流相:まぁ、そう言われればそうでしょうけど。
結局は、構成要件において、構成要件を規範の類型化と捉える点では共通でありながら、構成要件での法益保護機能をどこまで重視するかという違いがあるということでしょうか?
玄人:流相君の言うとおりだ。さらに言うと、刑法の法益保護機能を基礎としつつ、法益を保護する手段として規範を位置づけるのか?という理解の違いが背後にはある。
司法試験で錯誤の問題が出た場合には、これらの分析を踏まえて答案を作成する必要がある。
ということで、次回は、旧司法試験の昭和54年の過去問を例に錯誤の問題を検討してみよう。