錆新 :次は、(2)連結点の確定の問題です。
連結点とは、単位法律関係と準拠法とを結びつけるキーワードです。教科書の例は、相続ですね。この例は理解できましたか?一応図を書いておきましょう。
錆新 :これによると、「相続は、被相続人の本国法による」(法の適用に関する通則法36条)という条文では、「相続」が単位法律関係で、「被相続人の本国法」が準拠法です。
そして、「相続」と「被相続人の本国法」を結合させるのが「被相続人の本国」という連結点なのです。
流相 :連結点と準拠法は、ほとんど同じですね。「法」がつくか否かだけです。なくても良いんじゃないですか?
錆新 :そう思うのも分かります。
しかし、被相続人がもし無国籍者であったり、二重国籍者であったらどうなるでしょうか?
その人の本国法は何法になりますか?
流相 :え~と・・・。無国籍者には本国がありませんし、二重国籍者は2つのうちのどちらがその人の本国なのか不明なので、本国法を特定することが出来ないですね。
錆新 :そうですよね。
ですから、準拠法である本国法を決めるためにはまず、その人の本国がどこかを先に検討する必要があるわけです。
流相 :なるほど!
連結点が決まらない限り準拠法を特定することが出来ないわけですね。
神渡 :そうしますと先生、連結点をどう定めるかは準拠法特定の上でとても重要ということになりますね。
錆新 :そういうことです。司法試験の問題を分析するにも前提として必要なことです。
教科書にも「連結点は、いわば法選択規則の心臓部である」との記述がありますね。その通りなのです。
単位法律関係の連結点をどう設定するかは、連結政策の問題です。
上の36条で相続の連結点は「被相続人の本国」ですが、それは必然ではありません。そこに、日本の連結政策が現れています。
何故、相続の連結点が「被相続人の本国」になっているのか?を理解することがとても重要です。“条文に書いてあるから”というだけでは不十分ですので皆さんも注意してください。
神渡 :先生、連結政策には何か判断基準・指針があると思うのですが、その基準・指針は何でしょうか?
錆新 :良い質問ですね。
単位法律関係についても法政策があるわけですが、この際ですから、ここでまとめておきましょうか。
(1)法的安定性と具体的妥当性のバランス
(2)私人間の利益のバランス
(3)自国および関連国の利害関係
(4)判決の国際的調和
があります。これらの要素のうち、どの要素を重視するかで政策決定結果は異なってきます。
どの要素を重視するかは、国際私法の役割を何に求めるかによるところが大きいと思います。
日本の通説は、上記の要素のうち、(1)と(4)を重視した法政策に従っています。
ある事件の解決には、
(ア)適用法の決定
(イ)事件への当てはめ
(ウ)結論
というステップを踏みますね。いわゆる三段論法です。
そして、日本国内の事件でしたら(ア)当然適用する法は日本法なわけですから、日本法の中で適用法を決定すればすむわけです。
しかし、渉外的私法事件の場合、日本法のみならず、外国法も関係してきます。
そうしますと、渉外的私法事件を解決するには、まず、どの国の法を適用すべきかを決定する必要があるわけです。つまり(ア)の段階が重要となってきます。
そして、初めにあげた成年年齢の事例のように、どの国の法が適用されるかで結論が異なってくることがあるわけですから、適用法がどの国の法であるかは当事者にとってとても重要なことです。ということは、どの国の法が適用されるのかの予見可能性が高く、明確な判断基準が必要となるでしょうね。
神渡 :渉外的私法事件に適用される法が何かの予見可能性が高ければ、当事者は自己の行為の結果を予測しやすくなり安心して取引などをすることができますね。
錆新 :そうです。結局、国際私法の役割は、当事者が安心して渉外的私法関係を築くことを助けることにある、と私は思っています。そのためには、どの国の法が適用されるのかの判断基準の明確性を確保すれば良いのではないか?と思います。
阪奈 :ですが先生、適用法(準拠法)の判断基準が明確であるとしても、その適用結果が日本人からするととても受け入れられないという場合もあるんじゃないですか?そのような場合には適用基準の明確性を修正しても良いのではないか?とも思うのですが・・・。
錆新 :良い指摘ですね。
たしかに、そういう主張をする方もおります。私も全面的に否定するつもりはまったくありません。
ただ、外国法の内容にまで踏み込んでしまうと、結局、外国法の内容を日本人の判断基準で見ることになります。これは、フェアではないでしょう。法にはそれぞれのお国柄が現れているわけですから。
私は、国際私法においては、「内外法の平等」つまり価値中立を前提とする思考が重要だろうと思っています。
教科書でも「国際私法と実質法とは次元・平面の違うものであって、明確に峻別されなければならない」(29頁)とあります。私もこの指摘に賛成です。
---次回へ続く---