神渡:勧告する主体は「都道府県知事」(医療法30条の11)ですが、指定拒否する主体は「厚生労働大臣」で(健康保険法65条4項柱書)異なっています。
勧告(都道府県知事)
⇓
不服従
⇓
指定拒否(厚生労働大臣)
⇓
保険医療機関指定がされない(法効果)
勧告をする主体とは別の主体が勧告と法効果との間に介在していますので“直接性”が否定されるのではないか?ということですね。
富公:ずばり問題の本質に切り込んでいます。
では、どう考えるのでしょうか?
神渡:“直接性”=“ファイナル性”のことで、
“ファイナル性”=“判断の最終性”のことです。
そうしますと、この問題は、勧告する際の都道府県知事の判断が保険医療機関指定がされないという法効果の最終判断となっているか?という点にあるはずです。
流相:あ~、なるほど!
都道府県知事の判断が法効果発生の“ファイナルアンサー?”かどうか
ということだね。
富公:上手い例えですねぇ。
イメージとしては、今流相君が言った通りですね。
阪奈:(人のふんどしで相撲を取るのは得意なのねぇ、流相は・・・)
富公:ではどうでしょうか?
都道府県知事の判断は、保険医療機関指定がされないという法効果発生の“ファイナルアンサー”といえるでしょうか?
神渡:健康保険法65条4項柱書では、
厚生労働大臣は、・・・申請に係る病床の全部又は一部を除いて、・・・指定を行うことができる。
神渡:と規定されています。
この「できる」という文言からすると、指定拒否をしなくてもよい、という意味に思えます。
そうしますと、「医療計画の達成のため特に必要がある場合」(医療法30条の11)だとして勧告をすべきだとした都道府県知事の判断に、厚生労働大臣は拘束されないのだろうと思います。
よって、都道府県知事の判断は最終判断ではない、厚生労働大臣の判断が保険医療機関指定がされないという法効果の最終判断になるのではないか?と思うのですが・・・
富公:なるほど。
結論はさておき、今の神渡さんの議論の仕方はとても良いですよ。
「できる」の意味を神渡さんがおっしゃったように解すると、つまり、神渡さんは、健康保険法65条4項柱書の「できる」を厚生労働大臣に「裁量」を与えた規定だと理解するわけですが、そう解すると、神渡さんがおっしゃったような結論になります。
“ファイナル性”該当性を判断するに当たり注目すべき文言にしっかり気づいているのがとても良いです。
ここまでできるのであれば、あとは、結論を言ってもいいでしょう。
ということで、結論を言えば、「できる」は“権限”の意味です。
ところで、“権限”とはそもそもなんでしょうか?
基本的概念ですので、確認しておきましょう。
流相:???
(何だろう?権利と同じか?)
阪奈:?
神渡:権利とは違うと思うのですが・・・
富公:“権限”は公権力が持つ権利だ、と理解して、“権利”と“権限”が同じと思っている人もいるようですけど、神渡さんのおっしゃるように、“権利”と“権限”は違います。
“権限”とは、一言で言うと、“限られた権力”のことです。
フル・パワー(Full power)ではなく、リミティド・パワー(Limited power)です。
権力とは、そもそも法で縛られています(法の支配)。その法で縛られた権力の一部を行使する力が“権限”です。
法で縛られた権力を限定された場面で行使しなければならないように義務付けられたのが、“権限”なのです。
ということは?
神渡:健康保険法65条4項柱書の「できる」は、申請した病床数が病床総量規制(医療法30条の11)の範囲内では「指定」を行わなければならない、ということを意味します。
富公:では、申請した病床数が病床総量規制を超えた部分は厚生労働大臣はどうしますか?
神渡:え~と、
超えた病床数部分を除いて「指定」を行わなければならない、というのが医療法30条の11ですから、超えた病床数部分は、指定してはならない、ということです。
ということは、都道府県知事が病床総量規制を超えた病床数部分を是正すべきであると勧告(判断)したその判断に厚生労働大臣は法的に拘束されます。
そうしますと、都道府県知事の判断に従って厚生労働大臣は指定拒否をすることになります。
富公:そうなりますね。
結論としては、勧告と保険医療機関指定がされないという法効果との間に“ファイナル性”があるということになりますね。
流相:あぁ~、そうだったのかぁ。
阪奈:(なるほどねぇ。奥が深いのね。)
富公:少々ややこしかったですね。
ですが、“ファイナル性”は「処分」該当性判断の重要部分ですからしっかりと理解しておく必要があります。
ここまで説明したので、ついでに先ほど出てきました病院開設中止勧告事件(最判平成17年7月15日)も検討しておきましょう。
---次回へ続く---