流相: ぼくが、「保障人的地位」は、作為義務が認められれば肯定されると言ったんですが、これは僕の間違いだと気がつきました。
阪奈さんが言っていたんですが、
「保障人的地位」は、刑法上の作為義務を負う人を絞るための議論だと思います。
しかし、僕は、「保障人的地位」の議論は、「罪刑法定主義」違反を避けるために生まれたのではないか?と思うのですが・・・
玄人: ほ~。
流相が言うには、「保障人的地位」がある者に刑法上の作為義務を認めれば、不真正不作為犯の処罰は「罪刑法定主義」違反にはならない、ということだな。
流相: そういうことです。
玄人: 何故そういえるんだ?
流相: 不真正不作為犯というのは、真正不作為犯とは違って作為義務が条文に書かれていません。
解釈で作為義務を認めるわけです。
その解釈が不明確だと、予測可能性を欠き、罪刑法定主義に反すると思います。
ですので、明確な基準で、処罰範囲を限定するために「保障人的地位」ある人に作為義務を肯定することが罪刑法定主義から要求されるのではないか?ということです。
玄人: ふむ、なるほど。
解釈が不明確だと、予測可能性を欠き、罪刑法定主義に反する、という部分はその通りだな。
ただ、このことは、何も不真正不作為犯の処罰に限った話ではない、全ての犯罪の解釈で問題となることだ。
作為義務を明確かつ限定したとしても、それで罪刑法定主義違反を回避することができるかな?
流相: できると思うんですが・・・
玄人: たとえば、今は処罰する条文がないが、姦通罪という罰条が昔あった。
今、明確かつ限定した解釈で姦通を処罰するとしよう。
この処罰は許されるだろうか?
流相: それはまさに罪刑法定主義に反する処罰だと思いますよ!
玄人: でも、処罰範囲を解釈で明確かつ限定したんだよ。
流相はさっき、明確かつ限定された解釈を施せば罪刑法定主義に反しない、と言ったのではないかな?
流相: たしかにそう言いましたけど、それは罰条があることが前提です。
罰条がないのに解釈で処罰を認めることは、まさに「罪刑法定主義」違反です。
ん?
玄人: 自分が言ったことの意味が分かった?
流相: あぁ~、そうかぁ・・・
いくら解釈で処罰基準を明確にし、処罰範囲を限定したとしても、そもそも罰条がないならば処罰することはできません。
玄人: そういうこと!
不真正不作為犯の処罰が「罪刑法定主義」に違反しないというには、不真正不作為犯の処罰を認める罰条があると言う必要がある。
その上で、不真正不作為犯の作為義務をどう導くかが問題となるんだ。
つまり、
(1)罪刑の「法定」があるのか?という問題と、
(2)「法定」を無意味にしないように、解釈の明確性を確保すること、
はレベルの違う問題だから混同しないように!
流相: なるほどぉ!