神渡 :しかし、分離説が、結果行為時の減少している責任と原因行為時の完全な責任を「併せて1本」として完全な責任を問う見解だということになりますと、“例外モデル”と大差ない気がするんですけど・・・
つまり、分離説は、“構成要件モデル”の1つの学説ですが、同時存在の原則の修正を認める“例外モデル”に発想が近い学説のような気がしてきました。
阪奈 :たしかに。
分離説では、実行行為時(原因行為時)には完全な責任能力がありますが、実行の着手時(結果行為時)には責任能力がないため、責任非難が減少しているわけです。
責任非難が減少した結果行為時に処罰時期を求める点では、“構成要件モデル”の分離説と“例外モデル”は同一の立場に立つんですよね?
玄人 :そうだ!
阪奈 :ということは、処罰時期の観点から学説を整理すると、
(1)原因行為時に処罰時期を求める説
(2)結果行為時に処罰時期を求める説
という考え方があり、
(1)に“構成要件モデル”の同視説
(2)に“構成要件モデル”の分離説と“例外モデル”
があるということになりますね。
神渡 :やはり分離説は“例外モデル”に近い発想を持っているのですね。
阪奈 :ただ、そうはいっても分離説はあくまでも“構成要件モデル”に属する説ですから「行為と責任同時存在原則」の例外を認めるというわけではないと思います。
神渡 :そうなんですか?
分離説も“例外モデル”と同じく責任非難が減少した結果行為時に処罰時期を求めるわけですから「行為と責任同時存在原則」に例外を認めているように思えますが・・・
阪奈 :“例外モデル”では、「実行行為=実行の着手時」で、かつ、結果行為が実行行為(=実行の着手時)でした。
このことから分かるように、“例外モデル”では、実行行為時(=実行の着手時=結果行為時)には責任非難が減少しており「行為と責任同時存在原則」を貫くと処罰できないところを、処罰を確保するために「行為と責任同時存在原則」を修正するという考えです。
しかし、分離説は、実行行為(原因行為)と実行の着手時(結果行為)を一連一体の行為とみてその一連一体の行為を処罰対象行為としています。
その一連一体の行為について責任非難をするのですから、「行為と責任同時存在原則」を修正していることにはならないように思います。
もっと言いますと、“例外モデル”では、処罰対象行為は結果行為のみです。しかし、結果行為時には責任能力がありませんので、原因行為時の責任をもって、結果行為の処罰を肯定するわけです。処罰対象「行為」と「責任」の存在時期とがズレています。
下図参照
神渡 :たしかに、この図によると、“構成要件モデル”の同視説と“例外モデル”の違いがよく分かります。
“例外モデル”は処罰対象行為を結果行為としていますが、その時点では責任能力がないので、「行為と責任同時存在原則」を貫くと行為者を処罰することができない、ということですね。
“構成要件モデル”の分離説はどうなるんでしょうか?
神渡 :なるほど!
処罰対象行為に責任能力がある原因行為が含まれていますので、「行為と責任同時存在原則」の例外を認めるということではないんですね。
玄人 :かなり深い分析がされたと思う。
ここまで議論してどうだっただろうか?
何かに気がつかなかったかな?
流相 :はい、はい、気がつきました。
玄人 :じゃ、流相君。
流相 :実行行為の構造の理解に関わっているように思います。
玄人 :たまには、当たるねぇ。
流相 :玄人先生、“たまには”はやめてください(笑)。
玄人 :それはともかく、“原因において自由な行為論”も実行行為の理解と密接に関わっているんだよ。
流相 :でも、責任主義の理解が一番密接じゃないですか?
玄人 :正確には、その2つだな。
流相 :どういうことですか?
玄人 :いままでの議論をまとめるために説明しておくか。
・・・(9)へ続く