阪奈: 「主観主義刑法理論」からは、(1)正犯の場合も(2)幇助の場合も、どちらも行為者の「犯意」は同じくらい悪質だから、この理論を貫くと「正犯」と「共犯」の違いはないことになります。
玄人: 「主観主義刑法理論」を貫くとそうなる。
(2)の幇助は、本来正犯だが、刑法が共犯とくくっているので「刑罰縮小事由」ということになる。
ということは、つまり「主観主義刑法理論」からの「共犯の処罰根拠」はどうなる?
流相: ???
神渡: 理論からすると、幇助は正犯と同じ処罰でいいのですが、刑法はそれを縮小しているのですから、主観主義刑法理論からの「共犯の処罰根拠」は、何故共犯は刑罰が縮小されるのか?ということになりそうです。
玄人: 良いところに気がついた!
流相: えっと、よく分からないのですが?
玄人: そもそも「共犯の処罰根拠論」とは?
流相: それは、何故共犯が処罰されるのか?ということを論じる議論のことだと思いますが。
玄人: そう。
何故、共犯が軽く処罰されるのか?という議論ではないはずだ。
流相: たしかに!
阪奈: 「主観主義刑法理論」は、現在論じられている「共犯の処罰根拠論」とは発想が真逆だということですね。
玄人: そうそう。
この発想の違いが分かるかなぁ?
現在論じられている「共犯の処罰根拠論」は、何故共犯が処罰されるのか?だ。
これは、前提として、共犯は本来処罰されないはずだが?という発想に基づいている。
つまり、この発想は、共犯は「刑罰拡張事由」という発想なんだ。
流相: そういえば、共犯の初めの方に「刑罰拡張事由」とか「刑罰縮小事由」とか書かれていました。
そういうことだったんですか!
玄人: 基本書に無駄な言葉はないんだよ、流相君。
そして、さらに言えば、この「刑罰拡張事由」としての共犯の理解は、「客観主義刑法理論」を基礎とするんだ。