玄人: 「純粋惹起説」は「修正惹起説」よりも正犯の存在をかなり軽く見るから、共犯責任を「1次的責任」と見ている(見たい)、と理解してもいい。
神渡: しかし、「共犯の処罰根拠」を巡って何故このような両極端の考え方があるのでしょうか?
流相: なんだか、今までの議論を踏まえると、どうも「純粋惹起説」は、「共犯の処罰根拠」と「正犯の処罰根拠」を同じと理解しているように思います。
玄人: いいところに気づいたねぇ。
そういうことなんだよ。「純粋惹起説」は、今流相が言ったように考えているんだ。
葛原先生もそう書いている。
純粋惹起説は、共犯の処罰根拠は法益侵害結果の因果的惹起に尽き、その点で正犯の処罰根拠と全く共通である(葛原力三『共犯の処罰根拠と処罰の限界(上)』(法学教室2004年2月号<281号>、64頁)
流相: えっへん!
神渡: ということは、「修正惹起説」はそうではないのですね?
玄人: 「純粋惹起説」からするとそういうことになる。
葛原先生は、「修正惹起説」(葛原先生は、私がここで「修正惹起説」と呼んでいる学説のことを「混合惹起説」と呼んでいるのだが)は、
借受犯説的(葛原力三『共犯の処罰根拠と処罰の限界(下)』(法学教室2004年3月号<282号>68頁)
玄人:と言って批判している。
流相: えっと、「借受犯的」というのは、「可罰性借用説」のことですか?
玄人: そうだ。
流相: それは違うんじゃないでしょうか?
だって、この講義で言っていた「不法共犯論」なら、たしかに、正犯の違法を惹起したことが共犯の処罰根拠となりますから「借受犯的」と批判されてもしょうがないですが、「修正惹起説」は、「純粋惹起説」と同じ「因果的共犯論」ですから、「借受犯」ではないと思いますが・・・
玄人: いや、「純粋惹起説」は自説以外の学説は、「借受犯」もしくは「借受犯的」だと批判している。
自説だけが、共犯を「固有犯説」と考えていると主張している。
「固有犯説」vs「借受犯説」
玄人:の対立が、「共犯処罰根拠論」の対立軸になっている。
さらに言うと・・・
---次回へ続く---