玄人:
「固有犯説」vs「借受犯説」
玄人:の対立が、「共犯処罰根拠論」の対立軸になっている。
さらに言うと・・・
個人責任を徹底した説が「純粋惹起説」ということになる。
「混合惹起説」(私が言う「修正惹起説」のことだが)を批判する文脈で、葛原先生は、こう言っている。
他人が犯罪成立要件の一部を実現したことを要件とすることがすでに個人責任という考え方とは相容れない(葛原力三『共犯の処罰根拠と処罰の限界(下)』(法学教室2004年3月号<282号>、68頁)
神渡: なるほど!
「個人責任」の貫徹を巡って「修正惹起説」と「純粋惹起説」は対立しているのですね。
玄人: そういうこと。
阪奈: そう考えますと、「共犯の処罰根拠論」としては、「純粋惹起説」が純粋に共犯の処罰根拠を議論しているように思います。
流相: えっ?どういうこと?
だって、「修正惹起説」だって、「共犯の処罰根拠論」を巡る学説なんだけど?
阪奈: どちらも「因果的共犯論」なのだけれど、「修正惹起説」は、結果の因果的惹起に加えて共犯処罰を限定する要件として正犯従属性を要求しているわよね?
流相: そうだね。
阪奈: で、「純粋惹起説」は、結果を因果的に惹起すれば共犯処罰は可能で、共犯処罰の限定は、別の要件の問題とするのよね?
流相: ん?
阪奈: つまり、「修正惹起説」も、「共犯の処罰根拠」は結果を因果的に惹起した点にあることを認めているの。
その上で、共犯処罰を限定するための要件(正犯従属性)も「共犯の処罰根拠」に入れている。
でも、共犯処罰限定要件(正犯従属性)は、何故実行行為をしない共犯が処罰されるのか?という「共犯の処罰根拠論」とは異質なのではないかしら?
流相: あぁ〜、まぁたしかにねぇ。
実行行為をしない共犯が何故処罰されるのか?つまり、共犯処罰の基礎付けを巡る議論が「共犯の処罰根拠論」で、
正犯従属性は、何故共犯処罰を限定するのかの議論で、何故共犯が処罰されるのかという議論とはベクトルが逆ではあるからな。
阪奈: そうすると、「共犯の処罰根拠論」としては「純粋惹起説」が純粋に共犯の処罰根拠を議論しているわよね。
すっきりしているし、美しい議論の気がするわね。
流相: 学説に”美しい”とかないでしょ!
阪奈: あら、どんな学問の世界でも美しいものはあると思うわよ。
玄人: 「共犯の処罰根拠論」を巡る学説について一応まとめておこう。
流相頼むぞ!
流相: え〜、なんで僕が・・・
---次回へ続く---