神渡: 「不法共犯論」は、「実行行為を促進」すればいいわけですから、間接的にであっても実行行為を促進すれば従犯処罰は可能だということになりそうなんですが・・・
阪奈: あぁ〜、なるほどねぇ〜。
流相: たしかに!
言われてみればそうだね。
玄人: そこには「不法共犯論」の思考の特徴があるんだ。「因果的共犯論」との比較で押さえると分かりやすいだろう。
「因果的共犯論」はどういう説だ?
流相: 「正犯を介して結果を因果的に惹起した」点に共犯処罰の根拠を求める説です。
玄人: うん。
では、「因果的共犯論」は正犯と共犯の処罰をどう考えている?
流相: 結果を直接惹起したのが「正犯」で、結果を間接的に惹起(促進)したのが「共犯」と考えていると思います。
玄人: それは、「因果的共犯論」からの正犯と共犯の処罰の限界の議論だ。
つまり、正犯と共犯の区切りの議論だ。
私がここで言ったのは、「因果的共犯論」は、犯罪の処罰根拠をどう考えているか?ということだ。
流相: つまりは、正犯・共犯を含めた犯罪の処罰根拠ということですか?
玄人: つまりはそういうこと。
流相: それは、「結果の惹起」だと思いますが・・・
阪奈: 正確に言うと、「結果の因果的惹起」ね。
玄人: そうだ。
つまり、
「結果発生」と行為と結果間の「因果性」
玄人:が犯罪処罰の根拠となっている。他にも主観的要件はあるが今はそれは考慮外としておこう。
ともかく、「因果的共犯論」では、「結果発生」と「因果性」が重要なポイントとなる。
阪奈: その上で、結果を直接惹起したのが正犯で、結果を間接的に惹起したのが共犯ということになるのですね?
玄人: そう。
「因果的共犯論」からは、結果を直接惹起したのか、間接的に惹起したのか、という因果の“直接性”と“間接性”が正犯と共犯を分けることになる。
ということは?
阪奈: ということは、正犯による直接的結果惹起を間接的に促進したのであれば、
A(幇助)→B(幇助)→甲(刺突行為)→乙(死)
阪奈:の事例で、幇助者BをAが幇助した場合でも、Aの幇助がBを介して甲による乙死の結果惹起を促進したといえるのであれば、間接幇助は処罰可能だということになりますね。
玄人: そういうことになる。
では、「不法共犯論」ではどうなる?
神渡: そもそも「不法共犯論」とは、”違法な正犯行為の惹起(促進)”に共犯の処罰根拠を求める考えです。
簡単に言うと、”実行行為の惹起(促進)”が共犯処罰の根拠だと思います。
正犯処罰の根拠とは違うのだと思います。
流相: え?どういうことなの、神渡さん。
神渡: え~と、何と言えばいいのかしら・・・
「不法共犯論」は、正犯処罰の根拠と共犯処罰の根拠を違うものと考えている気がするんです。
流相: そうなの?
考えたことないけど?
神渡: 「不法共犯論」の人達だって、正犯が実行行為をしさえすれば正犯処罰が可能だとは考えていないはずです。
実行行為に加えて、結果発生とその間の因果関係を要求しているはずです。
流相: それは・・・そうだね。
神渡: しかし、共犯の処罰根拠は、結果の間接的な惹起(促進)とは捉えていません。
「不法共犯論」からは、正犯の処罰根拠と共犯の処罰根拠は質的に異なるような気がするんです。
ですが、「因果的共犯論」だと正犯の処罰根拠と共犯の処罰根拠は量的な違いがあるに過ぎないように思います。
流相: そんな気がする。
でもまだしっくりはこないなぁ・・・
阪奈: 「因果的共犯論」では、共犯は、結果を間接的に惹起(促進)したが故に処罰されるわけよね。
私が思うに、結果の間接的惹起(促進)という場合の“間接的”って、限定がないのだと思うの。
流相: “限定がない”?
どういうこと?
阪奈: つまり、上の例で言うと、AもBも甲が直接惹起した乙死の結果について間接的な因果性を持つという点で同じと扱われるわけ。
これは、「因果的共犯論」が結果との間の“因果性”を重視するからだと思うの。
ところが、「不法共犯論」だとAとBとでは、扱いが質的に異なってくるのよ。
Bは正犯甲の実行行為を促進したといえるけど、Aはそうではない。Aはあくまでも、Bの幇助行為を促進したにとどまるというわけ。
「不法共犯論」が、“因果性”を重視しない以上、そういうことになるんじゃないかしら?
共犯の枠が固いのが「不法共犯論」で、共犯の枠が柔軟なのが「因果的共犯論」という感じかしら。
---次回へ続く---