阪奈:
A(幇助)→B(幇助)→甲(刺突行為)→乙(死)
阪奈: この例で言うと、AもBも甲が直接惹起した乙死の結果について間接的な因果性を持つという点で同じと扱われるわけ。
これは、「因果的共犯論」が結果との間の“因果性”を重視するからだと思うの。
ところが、「不法共犯論」だとAとBとでは、扱いが質的に異なってくるのよ。
Bは正犯甲の実行行為を促進したといえるけど、Aはそうではない。Aはあくまでも、Bの幇助行為を促進したにとどまるというわけ。
「不法共犯論」が、“因果性”を重視しない以上、そういうことになるんじゃないかしら?
共犯の枠が固いのが「不法共犯論」で、共犯の枠が柔軟なのが「因果的共犯論」という感じかしら。
玄人: そう!
まさにそういうことだ!
「不法共犯論」は共犯の枠が固く、「因果的共犯論」は共犯の枠が柔軟なんだ。
流相: 固いよりも、柔軟な方が良いですよね。
阪奈: 何故?
流相: だって、頭が”固い”は批判だけど、頭が”柔らかい”は褒め言葉だから。
阪奈: ・・・
それとこれは別!
だって、共犯の枠を柔軟に考える「因果的共犯論」だと、結果促進との間に”因果性”がある限り、間接幇助のみならず、再間接幇助、再々間接幇助、再々々間接幇助という具合に、処罰範囲が際限なく広がっていくのよ。
流相: おっ、ということは、阪奈さんも「因果的共犯論」は妥当じゃないと考えているのかな?
阪奈: いえ、それは違います!
処罰範囲が際限なく広がるという批判があるにしても、私は、「因果的共犯論」の支持者です。
どんな説にも批判があるわけだから。
玄人: まぁ、これくらいで(狭義の)共犯は終わろうと思う。
共犯の処罰根拠が一筋の光明となって暗黒の共犯論を見通すことができたのではないだろうか?
ということで、次はいよいよ「共同正犯」に入ろう。
---共犯論終・次回から共同正犯論---