今日は、法学概論2日目だ。
昨日は玄人先生と3時間話をした。
神渡は、学校へ向かう電車の中で、昨日玄人先生と話したことの復習をした。
「昨日は、確か、まず、法的紛争とは何か?と質問したわね。
適切に法的紛争を解決するためには、一般国民に一般教養として法的知識が必要ということになった。
次に、『判断枠組』の設定について、質問したわ。
これに対しては、 恣意的な解決を避けて法的安定性を確保するために、判断の基準である『判断枠組』を設定する必要があるということだった。
玄人先生は、航海の例にたとえて、『判断枠組』を羅針盤と説明していたわね。
うん、上手い説明だわ。
たしかに、羅針盤なくして航海に出ると、どこに行くのか分からないし、悪くすると難破するわよね。
良く分かった!
でも、昨日は、具体的妥当性と法的安定性の関係については、次に持ち越しとなったよね。
今日は、その関係について質問しなくっちゃ!」
今日も、1時から2時30分まで、講義を受けて、その後、直ぐに玄人先生に質問に行った。
昨日のように、ゴミで散らばった研究室404号室におじゃました。
「昨日、せっかく、入り口からパイプ椅子までの道のゴミを側に寄せておいたのに、今日は以前の状態に戻っている。玄人先生は、いったいどういう日常生活をしているのかしら? 」
そう思いながら、神渡は椅子に座った。
さっそく、昨日の続きから始めた。
神渡 :『判断枠組』の設定が法的安定性を確保するためのものであることはわかりました。羅針盤の例えもよく分かりました。
でも、具体的妥当性との関係はどうなるんですか?
玄人 : 神渡さんが昨日言っていたように、具体的妥当性と法的安定性とはベクトルが真逆だね。矛盾する場合が出てくるだろう。両者の関係をどう考えるかは、法学における一大難問ではある。定説というものはない。
なので、ここからは、私の個人的な見解を説明することにするよ。
神渡 :はい、分かりました。
玄人 :『判断枠組』を設定したのは、法的安定性を確保するためだったね。それは、恣意的な判断を避けることを目的とする。 裁判官が恣意的な判断をしたのでは暴動が起こりかねないからね。恣意的な判断を避けること、つまり、同じような状況には同じような解決を法的に保障すること、これは正義の要請でもある。
正義の実現は、法の目的でもあるんだ。正義を実現することが出来ない法は悪法で、憲法の下では違憲と判断される。
神渡 :違憲審査権のことですね。先生が指定されていた教科書にも憲法のところで書いてありました。
玄人 :そうだ。正義を実現するためには、個別事情ばかりに囚われていることは逆に弊害となることがあるんだ。人によって、どの事情をどう考慮するか変わるからね。何百年も前の昔々の裁判官が、訴訟当事者の顔を見えないようにして裁判をしたというエピソードがあるけど、これも、男・女、裕福・貧乏などなどの個別事情に囚われずに公平に裁判をするためだったんだ。正義の女神にも目隠しをしている女神像があるけど、それも同じことなんだ。人間、好き嫌いなどの感情がある。具体的な事情を細かく見ていくと、どうしても、その感情が入り込んでしまって恣意的な判断を招きがちになるんだよ。
神渡 :あっ、わかります。同じ内容の話を聞いても、自分が好きな人が話している場合は、同意できたのに、嫌いな人が話すと何故か反論してしまうことがあります。
玄人 :そうそう、そういうことなんだ。正義を実現する法としては、見た目だとか、好悪の感情で判断することは許されない。このような恣意的な判断を避ける為に『判断枠組』を設定した以上、法的判断にとっては、『判断枠組』を設定する事で担保される法的安定性確保が最重要となると私は考えているんだ。
神渡 :そうすると、法的安定性が具体的妥当性に優先する価値ということですか?
玄人 :私はそう考えている。
神渡 :でも、正義の実現には、具体的妥当性も重要だと思うんですけど・・・。
安定性といえば聞こえは良いですが、要は具体的事情を考慮しない「画一化」ということですよね。考慮しなかった具体的事情に正義があることも考えられるのではないでしょうか?
玄人 :たしかに、神渡さんの言うことに一理あることは認める。
そのうえで聞くが、神渡さんは、法律家の役割を何と考える?
神渡 :それは、権利者の保護だと思います。
玄人 :そうだね。では、 法律家は、どうやって権利者を保護するんだい?
神渡 :法律を使ってだと思いますが。
玄人 :そうなんだ!
法律を使うという点が重要なんだよ。
神渡 :法律を使うことの何が重要なんですか? あたりまえだと思うんですが・・・。
玄人 :真理は当たり前の日常に潜んでいるんだ!
神渡 :はぁ?
玄人 :ま、そんな哲学的なことはさておき、法律という枠を超えては判断することが出来ないという点に法律家の特質があるんだ。
つまり、法律家は、常に法律の枠組の中でしか判断することが出来ないんだ。
神渡 :まぁ、法律を使うということはそういうことですよね。
玄人 :神渡さんは、その重要性を本当に分かっているのかなぁ?
たとえば、神渡さんがバリバリの死刑反対論者だと仮定しよう。その神渡さんが裁判官だとして、目の前の事件の被告人が過去の判例に照らしてみても、死刑に値する場合、神渡裁判官は、どう判断する?
神渡 :バリバリの死刑反対論者であれば、死刑判決は下したくありません。
玄人 :それはそうだろうね。
でも、裁判官(などの法律家)は、法律に従わなくてはならない。現行法が死刑制度を認めており、目の前の被告人が過去の判例に照らしても死刑に値するのであれば、神渡裁判官としては、死刑判決を下すしかない。
これが、正しい法律家というものだ。法律家は、常に法律という枠組に拘束されているんだ。
では、神渡さんが、裁判官ではなくて、国会議員だったらどうする?
神渡 :それは、死刑制度を廃止する法案を作ります。
玄人 :そうだよね。国会議員は法律を作ることが出来るからね。そうすると、国会議員と裁判官で、重要な違いがあるよね。
神渡 :はい!裁判官は、既存の法律に拘束されますが、国会議員は既存の法律に拘束されずに新しい法律を創ることができます。
玄人 :そうだね。その違いは大きいんだよ。裁判官は、個人的な価値観に基づいて判決をしてはいけないんだ。国会議員は、個人的な価値観に基づいていても、その価値観への国民の支持があれば何も問題はないわけだ。国会議員は、自己の価値観を法律という形に表すことができるが、裁判官は既存の法律に拘束されるから自己の価値観に基づいて判決することは出来ないんだ。
神渡 :そうすると、裁判官は、既存の法律を機械的に事件に適用するしかないということですか?
玄人 :いや、そうではない。
その時、部屋の奥から携帯電話の音が鳴り響いた。
玄人先生は、いそいで、その電話に出て話しをしている。
電話をしながら、頭を下げて謝っている。
なんか、相手の怒った声が電話越しに聞こえてくる。
誕生日だの、プレゼントだの、と言っているのが聞こえる。
女性の声だ。静かな部屋だけにその声が響く。
だれだろう?
しばらく謝った後、電話を切り、私に
「すまんが、今日はこれくらいにして続きは明日にしよう」
と言ってきた。
「実は、今日、妻の誕生日で、夕方5時に大学近くの駅前で待ち合わせをしていたのだが、すっかりその約束を忘れていたんだ」
私が時計を見ると、既に5時15分。
「先生、奥さんがいたんだ」
その話を聞いて、初めに思ったのがそれだった。
直ぐに我に返り、
「それは大変ですね。奥様は大切にしないとダメですよ(私も共犯かもと思いながらそう言った)」
「では、続きはまた明日お願いします」
そう言って、私は、足早に研究室を出た。
研究室内からは、何やら
「バタン」
「ガタガタ」
という物音がした。
外出の準備のために鞄などの荷物を探しているのだろう。
早く見つかるといいですね、と心で呟きながら駅に向かった。