前回からの続き
玄人:「実行の着手」って何だろうね?
神渡:「実行」というのは実行行為のことだと思います。そうすると、「実行の着手」とは、実行行為に着手することだと思います。
玄人:「着手」の国語辞典的な意味は何だろうね?
神渡:え~と、「取り掛かる」という意味かと思います。
玄人:その考えでいくと、実行行為と「実行の着手」とはどういうことになる?
神渡:言葉の意味としては、実行行為に取り掛かることとなります。取り掛かるという言葉のからは「準備」がイメージされますから、実行行為をする準備も「実行の着手」に含まれるような気がします。
流相:ということは、「実行の着手」って「実行行為」よりも広い概念ということになるのかな?
神渡:言葉からするとそう思うんだけれど・・・。
玄人:議論が良いところに向かっているよ。
未遂犯にはどういったものがあったかな?
阪奈:はい、「実行未遂」と「着手未遂」があります。
玄人:どう違う?
阪奈:「実行未遂」は実行行為を終了したけど、結果が発生しなかった場合で、「着手未遂」は実行行為自体を終了していない場合です。
たとえば、AがBを狙ってピストルの引鉄を引いたけど弾がそれてBに当たらなかった場合が「実行未遂」で、AがBを狙ってピストルの引鉄に指を掛けた時点で取り押さえられた場合が「着手未遂」です。
玄人:そうだね。具体例で押さえるのは大切だ。法律はイメージも大事だからね。
「実行未遂」の場合、「実行行為」と「実行の着手」とはどういう関係になる?
阪奈:「実行未遂」では、実行行為は終了しているので、「実行行為」と「実行の着手」は一致します。
玄人:そうだ。では、「着手未遂」ではどうなる?
阪奈:上の例で、「実行行為」は、ピストルの引鉄を引く行為です。「着手未遂」では、ピストルの引鉄に指を掛けただけだから、それは「実行行為」の密接な準備行為ということになるかと思います。だから、「着手未遂」は、実行行為の直前の密接行為にまで処罰範囲を早めることになるんだと思います。
玄人:よく勉強しているね。
阪奈:もちろんです。
流相:ちょっと待ってください。
実行行為は、結果発生の現実的危険性のある行為です。そうすると、AがBを狙ってピストルの引鉄を引く意思をもってピストルの引鉄に指を掛けた時点で、人死亡の現実的危険性があるので「着手未遂」の場合も「実行行為」と「実行の着手」は一致するのではないでしょうか?つまり、「着手未遂」も「実行未遂」と同じく実行行為をしたことを理由に処罰されるのではないでしょうか?
玄人:なるほど。
流相君、「実行行為」の判断はどうしたかな?
流相:はい、危険性の有無で判断します。
玄人:それだけだったかな?
流相:あっ!
規範違反も考慮しました。ということは、「実行行為」とは、規範に違反する結果発生の現実的危険性が認められる行為ということになります。
玄人:二元的行為無価値論はそう考えるよね。そうすると?
流相:はい、上の例でいくと人を殺す行為というのは、ピストルの引鉄を引く行為ですから、その行為について結果発生の現実的危険性が認められれば、その行為が「実行行為」ということになります。
そうしますと、「着手未遂」の場合、ピストルの引鉄に指を掛けただけで、引鉄を引いていませんから、ピストルの引鉄に指を掛ける行為は「実行行為」ではないことになります。「着手未遂」は阪奈さんが言ったように「実行行為」の直前の密接行為にまで処罰範囲を早めたものといえます。
阪奈:(どうよ。あんた、まだまだ、勉強が足りないわね)
玄人:正確には、殺人罪であれば、「類型的に人を殺すとみることができる行為」に対して、二元的行為無価値論は、規範違反を問い、かつ結果発生の現実的危険性を問うということだがね。なお、結果無価値論は「類型的に人を殺すとみることができる行為」に対して結果発生の危険があったのかを問うことになる。
これまでの議論をまとめると、「実行未遂」の場合は「実行行為」と「実行の着手」は同義となるが、「着手未遂」の場合は「実行行為」と「実行の着手」は「実行の着手」が「実行行為」に時間的に先になるということになる。
ここでは、「着手未遂」は脇においておこう。未遂犯の典型例である「実行未遂」に議論を絞ろうか。そうすると、問題は、「実行行為=実行の着手」があれば直ちに未遂犯が成立すると考えるのかどうか、という点にある。この問題は未遂構成要件の構造をどう理解するかということだ。これについてはどう考える?
流相:え?
「実行の着手」があれば未遂犯は直ちに成立するのではないですか?
阪奈:あんた、今までそう思っていたの?ま、行為無価値論しか勉強していないようだからしょうがないか。
他に、「実行の着手」に加えて、結果無価値の観点から、法益侵害の切迫した危険という「未遂結果」を要求する見解もあるのよ。学説的には通説といっていいんだからあんたも勉強しておかないと!
玄人;:阪奈さんがいう考え方もあるので知っておくべきだろうな。その方が、行為無価値論の理解も深まるぞ!
以上の理解を踏まえて、講義で使った「離隔犯」の事例を分析してみようか?どうなる?
流相:行為無価値論からいきます。
この立場からは、Aが毒入り饅頭の郵送を依頼する行為に人死亡結果発生の現実的危険性があるので、その行為に殺人罪の「実行の着手」が認められます。そして、結果は発生していませんから、Aの行為に殺人未遂罪が成立します
玄人:そうだね。
流相:次に、結果無価値論からですが、Aが毒入り饅頭の郵送を依頼する行為に殺人罪の「実行の着手」が認められる点は行為無価値論と同じだと思います。
しかし、未遂結果を要求するので、B死亡結果の切迫した危険性が認められるかを検討しなければなりません。この例では、毒入り饅頭がB宅に配達されていませんから、未だB死亡結果の切迫した危険性は認められないと思います。ですので、Aの行為に殺人未遂罪は成立しないです。
阪奈:よくできたじゃない。
流相:(なんで上から目線なんだよ)
玄人:説明としては流相君のいうとおりだ。結果無価値論からは未遂犯の構成要件は
(1)実行の着手(=実行行為)
(2)未遂結果(切迫した危険)
(3)実行の着手と未遂結果との因果関係
(4)故意
となる。
流相:未遂犯に(未遂)結果を要求するというのは斬新な発想ですね。いやー、勉強になります。
神渡:皆さん、納得された中、すみませんが、山口先生は『既遂の具体的危険の発生を以て、「実行の着手」を端的に肯定』すれば良いと書かれているのですが・・・。
ということは、山口先生は、「実行の着手」を切迫した危険の発生時点と捉えているんですよね?
玄人:山口先生はそうだね。彼の考える未遂構成要件は次のようになるだろう。
(1)実行行為
(2)実行の着手(未遂結果)
(3)実行行為と実行の着手との因果関係
(4)(故意は責任要素であって、構成要件要素ではないとしている)
玄人:結局は、「実行行為」と「実行の着手」を一致させるのか、分離させるのかの違いだ。これまでの議論は、「実行行為」と「実行の着手」を一致したものと扱ってきたから山口先生のように両者を分離させることに違和感を持つ学者は多いだろう。
ただ、注意すべきポイントは、山口説には山口説の体系に基づく理由があるということだ。結論をいえば、山口説は、実行行為を単に「因果関係の起点」として捉えるんだ。そこに彼の結果無価値論の特徴がある。その説明をすると時間がかかるし、混乱する可能性があるから今はやめておこう。まずは、オーソドックスに「実行行為=実行の着手」から未遂結果を要求する考え方を理解すれば良いと思う。ちなみに、未遂結果は不文の構成要件要素ということになる。
神渡:分かりました。
私は十分だけど、阪奈さんはまだある?
阪奈:いや、神渡さんがないなら私もない。早くこの研究室を出たいし
流相:あ、ちょっと待ってください。実行の着手に関する問題ですが、行為無価値論からは・・・
阪奈:ちょっと!もう帰るよ。神渡さんはもう質問終わりっていっているんだからさ。
そう言って、阪奈さんは流相君の袖を強引に引っ張ってドアに向かった。
阪奈:先生、おじゃましました~。私たちが今度来るときまで研究室掃除していてくださいね~。
神渡:それでは、先生、失礼します。ありがとうございました。
玄人:やれやれ。阪奈台風がやっと去ったか。