玄人 :学説の分岐図は下のようになっている。
玄人 :“例外モデル”から分析をしよう。
まずは、平野先生がいうように、犯罪の最終的意思決定時に責任能力があれば発生した結果について責任を問うことができるという“例外モデル”がある。
これはつまりどういうことだろう?
阪奈 :これは、つまり、結果行為時に責任能力がなくても、原因行為時に責任能力があれば行為者への責任追及が可能であるとする説です。
流相 :しかし、実行行為時に責任能力がない、つまり、実行行為時(結果行為時)に是非弁別能力や行動制御能力がない場合に完全な責任を問うことは実行行為と責任の同時存在の原則に反するのではないか?と思うのですが・・・。
阪奈 :たしかに、そういう批判がありますね。責任というのは、実行行為時に同時に存在する必要があるという考えがこの批判の前提です。
しかし、“例外モデル”は、そもそもその前提にこだわる必要あるのか?という疑問を提示していると思います。
神渡 :でも、この前提をなくしてしまうと、責任非難が単なる価値判断になってしまわないですか?
この人を非難すべきだから非難に値するというような結果にならないか心配です。
是非弁別能力や行動制御能力がなければ、その人の行為はいわば動物の行為、あるいは単なる反射運動ということになって、非難することができないと思うのですが・・・。
阪奈 :たしかに、その懸念があります。
だから、この説はその対応として、責任能力ある原因行為時の犯意がそのまま結果行為へ実現されたことを要するとして、“同一”意思の“連続性”を要求しているのだと思います。
神渡 :そうなんですね。一応歯止めをかけているんですね。
でも、“同一意思の連続性”だけでは完全な責任を問うには弱い気がしますけどね。
玄人 :“例外モデル”の最終的意思決定を問う見解を取るかどうかは、責任概念の根本的理解の仕方によるわけだ。
実行行為時に責任能力があることを要求するか否か?
この点への態度決定をどうするかということだな。
違法性の意識の可能性を問う見解も責任の考え方は最終的意思決定を問う見解と同じだ。
この見解は受験的には不要だと思うが、一応、簡単に説明しておこう。
「実行行為時において違法性の意識がなくとも、それ以前の事情を考慮して、その可能性があれば、責任非難が可能である」(山口厚『刑法総論[第2版]』<有斐閣、2007年>257頁)ことを理由に実行行為時よりも遡って責任を問うことは認められるとしている。つまり、結論として、事前的非難が可能であるとしているわけだ。
いずれにしろ、“例外モデル”を採るか否かは、責任概念の根本的理解にかかわるということが確認できれば十分だろう。
では、次に、“構成要件モデル”にいこう。