第1行為を開始した時点で殺人罪の実行の着手があったといえるための要件として、最高裁は、
第1行為は第2行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠なものであったといえること、
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第1行為に成功した場合、それ以降の殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったと認められることや、
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第1行為と第2行為との間の時間的場所的近接性などに照らすと
と言っています。
ところで、最高裁は上の3つの要件を挙げているが、その3つがあることで、どうなるから殺人罪の実行の着手があると言っているんだ?
第1行為は第2行為に密接な行為
であると認定し、「だから」、
実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められる
と認定しています。
その上でまずは、最高裁の判断の骨組みを明らかにしてみよう。
第2行為遂行における第1行為の必要不可欠性
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殺害計画遂行の自動性、
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時間的場所的近接性などに照らすと↓
第1行為は第2行為に密接な行為
↓
実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められ
↓
第1行為を開始した時点で…殺人罪の実行の着手があった
という流れになっています。
第1行為時点で「実行の着手」を認めたのは、第1行為時に「殺人に至る客観的な危険性」が認められたから、という判断ですから判例は「実行の着手」該当性判断を客観的な危険性で理解しています。
まだ検討すべき点はあるぞ?
最初の3つの要件(必要不可欠性、自動性及び近接性)と「密接な行為」との関係はどうなっているのか、等
3つの要件(必要不可欠性、自動性及び近接性)と「密接な行為」とはどうなっているのか?
判例を読む限り、「密接な行為」であるかどうかの判断要素として必要不可欠性、自動性及び近接性が要求されているようですが…。
そうであるなら判例は、修正された形式的客観説に考え方が近い気もしますし…。
ですが、その後で、判例は「客観的な危険性が明らかに認められ」という表現もしているので実質的客観説に近い気もしますし…。
「…必要不可欠なものであったといえること、…殺害計画を遂行する上で障害となるような特段の事情が存しなかったと認められることや、…時間的場所的近接性などに【照らすと】、第1行為は第2行為に密接な行為であり、…」
と表現しています。【照らす】の意味は、
光をあててよく見えるようにする(広辞苑 第七版)
ですから、
必要不可欠性、自動性及び近接性に光をあてて(注目して)よく見えるようにすると、第1行為は第2行為に密接な行為であることがわかる。
という意味になるはずです。
ということは、必要不可欠性、自動性及び近接性は、「密接な行為」と判断する際の事情だという位置づけだと思います。
…第1行為は第2行為に密接な行為であり、実行犯3名が第1行為を開始した時点で既に殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められる…
とある。
「密接な行為であり、」と「客観的な危険性」がどういう関係にあるのかがこの文言だけからは不明だ。
[1]単なる並列なのか、若しくは
[2]「密接な行為」であるから「客観的な危険性」が認められるのか、又は
[3]重畳適用の関係なのか。
この[3]は今は触れないで留保しておこう。後でどういう意味か検討するから。
[1]だとすると、「修正された形式的客観説」と「実質的客観説」をこの判例は併用していることになるわ。つまり、形式的基準と実質的基準の併用。
ところが、
[2]だとすると、最終的な基準は実質的基準(実質的客観説)で、形式的基準(修正された形式的客観説)は、客観的危険性を基礎づける一要素という位置づけになるもの。
でもさ、どっちにしたって検討する内容に変わりはないんじゃないの?
もし、形式的基準と実質的基準が単なる並列だと考えると、「密接な行為」である理由と「客観的な危険性」が認められる理由がそれぞれ別個に要求されるはずよ。
でも、最終的な基準が実質的基準だと考えると、「密接な行為」であることが「客観的な危険性」を認める一つの理由となるにすぎないわけで。
この判例では、第1行為が第2行為に密接な行為である理由は書かれています。
第2行為遂行における第1行為の必要不可欠性
殺害計画遂行の自動性
時間的場所的近接性
がそれです。
私には、第1行為が第2行為に「密接な行為」であることが「客観的な危険性」を認めた理由としか読めないんです。
実質的判断をする際に、形式的基準も用いたという理解だな。
だが、この判例は職権判断の1(5)で、次のように述べている。
客観的に見れば、第1行為は、人を死に至らしめる危険性の相当高い行為であった。
つまり、最高裁は、第1行為自体に、V殺害に至る客観的危険性があることを前提に判断しているともいえるわけだ。
そうであれば、前者の理解(形式的基準と実質的基準とが単なる並列)も可能な考え方になるな。
どっちなんですか?
「実行の着手」や「実行行為」が問題となった他の判例も検討してみよう。
---次話へ続く---