実行行為というのは、構成要件に該当する行為で、
実行の着手論というのは、実行行為を開始したかどうかの議論で、
不能犯論というのは、形式的には実行行為に該当したとしても実質的には危険性がない場合を不可罰とする議論
と思っているのですが…。
まぁ、そう考える方がわかりやすいだろうな。
流相の理解では、たとえば、窃盗罪の実行行為はどういった行為だ?
その実行行為該当性はどう考えているんだ?
条文に書いてあるからだと思いますが。
じゃ、流相は、Xが金目の物がないかと箪笥を開けていた際、つまり物色行為時に、所有者Yに見つかって捕まりそうになったので、逃げるためにXがYを殴ったという事案があったとして、Xに何罪が成立すると考えるんだ?
あっ!窃盗犯人を身分とする身分犯なのか、結合犯なのかの議論がありました。それと関係しますか?
どの考え方であっても、窃盗の着手が必要であることに変わりはないわけだから。
ここで問題となっているのは、窃盗の着手時期だもの。
さっき、流相は、
実行の着手論というのは、実行行為を開始したかの議論で、
と言ったわね。
「実行」とは、まさに、基本的構成要件に該当する行為である。かような行為の開始が実行の着手にほかならない。
とされている(団藤重光「刑法綱要総論 第三版」(創文社、1990年)354頁)から、その考えを前提とすると、窃盗の実行の着手は、窃盗罪の実行行為に着手することを意味するから、窃盗罪の実行行為を始めないと窃盗の実行の着手は認められないのよ。
で、流相は窃盗罪の実行行為は、
財物に手を触れて財物を取り上げてその占有を自己の支配下に移す行為だ
と言ったわね。
ということは、Xは窃盗の実行に着手していないことになるから、Xに事後強盗罪は成立しない、という結論になるわね。
本当だ。
でも、自分の前提からその結論が出るということはちゃんと理解しておかないと刑法を学んだ意味がないと思うけどね。
わからないから聞いてるんだよ。
フン!
この形式的客観説からすると、実行行為と実行の着手論とはどういう関係になる?
じゃ、不能犯論との関係は?
結果の発生が定型的に不能であるような方法による行為
で、
実質的にみて実行行為の定型性を欠き、構成要件該当性を全然もたないために、未遂犯にもならないもの
だとされています(団藤・前掲書166頁)。
つまり、不能犯論というのは、実行行為該当性を判断するための議論ということですね。
ということは、形式的客観説からは、実行行為、実行の着手論、不能犯論はどうなる?
実行行為というのは、構成要件に該当する行為で、
実行の着手論というのは、実行行為(構成要件該当行為)を開始したかどうか(未遂の処罰時期)の議論で、
不能犯論というのは、実質的には実行行為の定型性を欠く場合を不可罰とする議論
となります。
ここで、実行行為、実行の着手論、不能犯論の位置づけを確認しておこう。
(実行行為は、構成要件該当行為のことですから)実行行為の議論では、構成要件該当行為か否かが問題となります。
実行の着手論は未遂の処罰時期の議論です。
不能犯論は、構成要件該当行為であるかを実質的に判断する議論
です。
実行行為の議論では定型的にみて構成要件該当行為かどうかを判断します。
実行の着手論でも、定型的にみて構成要件該当行為を開始したといえるかを検討します。
不能犯論でも、実質的に見て実行行為の定型性を検討します。
すべてを定型説で貫いておられます。
---次話へ続く---