なんでこんなに学説が出てくるんですか!
受験生を惑わす意図でもあるんですか?
ただ、基本概念の理解には必要ということ。
さよなら。
なんだよ、抜け駆けするつもり?
実行の着手について、行為者の犯行計画ないし認識を基礎としつつ、事態の進行が犯行の進捗度合いという観点からみて未遂処罰にふさわしい段階に至っているか、という判断枠組み
のことだ(樋口亮介「実行の着手-最高裁第一小法廷平成30年3月22日判決を踏まえて-」東京大学法科大学院ローレビュー13号(2018年)58頁)。
この有力説は、犯行計画を基礎とした犯行の進捗度合いで実行の着手時期を検討する見解だ。
初めて聞きました。
実行の着手は、犯行の進捗度合いで判断し、
不能犯論は、結果発生の可能性で判断するんだ。
実行の着手では危険性を考慮しないで、犯行計画を考慮する…
主観説に逆戻りですか?
従来の学説のように、実行の着手を危険性で客観的に判断するとしても、危険性判断の資料として行為意思-故意とは違う-や犯行計画を考慮する見解が主張されているわけだ。
どういう理由ですか?
要は、未遂犯が既遂犯と同じく重く処罰される根拠だ。
刑法が各則の既遂構成要件を通じて発している禁止または命令に背いて行為に出たことが、未遂犯の本質だとみるべき
(佐藤・前掲書40頁)だということだ。
だから、実行の着手論では犯行計画を考慮するわけだ。
これまでは、実行の着手を危険性で判断していたのに、行為者の犯行計画を考慮するというわけだから新たな考え方だね。
最近急速に浸透してきている説だ。
未遂犯の主たる処罰根拠を行為の規範違反性に求めつつ、客観的危険性の観点からその処罰範囲を制約する方向での理論構成を探る
(佐藤・前掲書46頁)ということだから、主張者も未遂犯を検討する中で危険性を不能犯論として検討するんだ(佐藤・前掲書46頁)。
実行の着手は、行為者の犯行計画を基礎に判断し、
危険性は不能犯論で扱う。
分かりやすくなりましたね。
ところで、有力説では、実行行為と実行の着手の関係はどうなるんだろう?
実行の着手は実行行為の直前行為(または、実行行為に密接する行為と呼んでもよい)に認めるべき
(佐藤・前掲書230頁)としているから、実行行為と実行の着手は分離している。
直前行為性の判断は、犯行計画上、最終結果実現行為までの間に重要な中間行為が想定されているか否か、および結果発生までの間にどの程度の時間的場所的離隔が予定されているかという2つの基準を用いて行われるべき
(佐藤・前掲書230頁)とある。
犯行計画上
というのがポイントだ。
で、危険性を扱う不能犯論は、刑罰が介入するだけの害悪が生じているかを判断するための議論(樋口・前掲レビュー13号60頁)ですよね。
Xは、拳銃を用いてAを殺害する計画を立て、犯行当日にXは拳銃を携えてA宅のAの寝室に入ったが、その時に家人に見つかって取り押さえられた。
後に判明したところによると、その拳銃は不良品で、たとえ引き金を引いたとしても弾丸が出なかったであろう
という事案だ。
何が問題となる?
他には?
それだけではないですか?
Xは拳銃を携えてAの寝室に入っただけで、Aに銃口を向けていないですから殺人の実行の着手がないのでは?という問題があります。
殺人の実行行為は、次のどれなのか?
・拳銃を携えてA宅に侵入した行為
・拳銃を携えてA宅のAの寝室に侵入した行為
・拳銃を取り出す行為
・拳銃の安全装置を外す行為
・回転式弾倉(シリンダー)を左下にスイングアウトする行為(フレームからシリンダーを横に振りだす行為)
・シリンダーに実弾を込める行為
・シリンダーをフレームに収める行為
・銃口をAに向ける行為
・拳銃の照準装置で狙いを定める(リアサイトからフロントサイトを覗く)行為
・拳銃の撃鉄(ハンマー)に指をかける行為
・撃鉄を押し下げる行為
・引き金(トリガー)に指をかける行為
・引き金を手前に引く行為
何それ。
阪奈って暗殺者?
女ゴルゴ?
拳銃に詳しすぎるでしょ!
たしかにねぇ。
暗殺依頼を受けた時点が殺人の実行の着手時期だ!
暗殺成功率100%だから、暗殺を依頼した時点でターゲットが死に至る客観的危険性が認められる。
ターゲットは、ゴルゴが暗殺依頼を受けた時点で、すでに死んでいるようなもの。
殺人の実行行為は阪奈さんが挙げた行為のどれなのか?
最後の、引き金を手前に引く行為が殺人の実行行為であることに争いはないと思いますが、その前のどこまでを実行行為と判断することができるかは難しい…
私としては、引き金に指をかける行為までならなんとか殺人の実行行為と言っていい気がしますが。
実行行為の直前行為がどの行為までなのか?
そうすると、結果発生の危険性がある行為だったのか(不能犯論)と、その行為時点をもって刑罰が介入していいのか(実行の着手論)とは別ですね。
なるほどねぇ。
さっき、阪奈さんが言ったように、
実行の着手論は、刑罰が介入すべき時点を禁止規範、命令規範に照らして判断する議論
不能犯論は、刑罰が介入するだけの害悪が生じているかを判断する議論
ということだ。
ありがとうございま…
ん?ちょっと待ってください。今気が付いたんですが、不能犯論では、結果発生の危険性がある行為だったのかを議論するわけですよね。
結果発生の危険性がある、つまり不能犯論ではない、ということになると、それは同時に実行の着手があるということになりません?だって、不能犯論は、刑罰が介入するだけの害悪が生じているかを判断する議論なんですから、不能犯論ではないとなると、刑罰が介入するだけの害悪が生じているということになって、ただちに実行の着手があることになりそうなんですが。
予備罪が処罰されるのも結果発生の危険性があるからよね。
そうした危険性がなければ、予備罪としても不可罰であろう(伊藤渉ほか「アクチュアル刑法総論」(弘文堂、2005年)251頁注10)(安田拓人執筆))
そうであれば、刑罰が介入するだけの害悪というのは、予備罪で引き起こされる害悪も含む危険性のことだからかなり低い可能性で足りるはず。
可能性の程度については、「相当程度の可能性(そのような事実は十分にありえたと考えられる場合)に限定」すべきではなく…結果が発生するおそれがあるという程度で足りる
(佐藤・前掲書84頁)とあります。未遂犯が成立するためには、その程度の危険性がまずは必要になる。でもその危険性はいまだ予備罪の危険性を基礎づけるに過ぎない危険性ということになる。未遂犯として処罰するためには、さらに実行の着手が認められなければならない。だから刑罰が介入すべき時点を実行の着手論において改めて検討する必要がある、ということだと思う。
それだったらわかる。
玄人先生ありがとうございました。
ありがとうございました!
失礼します。
---研究室を退出---
警察に言うぞ!
阪奈は危ないんだから。
私たちはこれから予定があるの。
ね、神渡さん!
じゃさよなら。
---終---