そうしますと、加害者Bらを殺人罪でも殺人未遂罪でも処罰することができません-第1行為時にBらに故意がないため-。
ですが、第1行為第2行為をしたBらの行為からV死亡結果が生じたことは明らかです。そこで、第1行為と第2行為を合わせて、第1行為時に第2行為に着手したといえないかが検討されました。
第2行為を実行行為と仮定し、第1行為に着手したことをもって第2行為に着手したといえれば、処罰時期を第2行為時にではなく第1行為時に前倒しすることができる。処罰時期を第1行為時に前倒しするわけだから「密接な関係」の議論をする必要がある。
第1行為が第2行為に密接な行為といえれば、第1行為と第2行為は一連の行為といえる-この判例はそこまで明示はしていないけども-。
そのうえで、その一連の行為が一連の「実行行為」に該当するか?が問題となるので、「客観的な危険性」の有無で判断する、ということよね。
でもさ、処罰時期を第1行為時に前倒しするための議論として「密接な行為」の議論をするんだよね?
そもそも「密接な行為」の議論って、「実行の着手」の議論でしょ?
「実行に着手」したのならその時点で処罰可能でしょ?その後に一連の「実行行為」に該当するかを検討する必要はないんじゃないの?
1 まず、第2行為を結果を帰属させる対象となる行為と仮定する。-そう仮定しないとBらを殺人未遂罪でも処罰することができないからな。-
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2 だが、その第2行為からV死亡結果が生じたかが不明なので、第1行為への着手をもって第2行為に着手したといえないかを検討する。
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3 そこで、第1行為が第2行為に「密接な行為」であるかの議論をする。肯定されれば第1行為と第2行為とは「一連の行為」といえ、第1行為への着手をもって第2行為への着手が認められる-つまり、「一連の行為」と認めることで、結果を帰属させる対象となる行為を前倒しする-。
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4 第1行為と第2行為が「一連の行為」であると判断された場合、その「一連の行為」が一連の「実行行為」であるかを「客観的な危険性」で判断する。肯定されれば第1行為と第2行為の「一連の実行行為」が結果を帰属させる行為として確定される。
たしか、昭和9年判例では金品物色行為時点で「実行に着手」したと判断して窃盗罪の実行の着手を認めたと思うのですが。
だからクロロホルム事件の「密接な行為」の議論と昭和9年判例の「密接な行為」の議論は中身が一部違うといえるだろう。
ただ、いずれにしろ、「密接な行為」の議論は処罰対象となりうる行為を前倒しするための判断枠組みだ、ということを押さえておく必要がある。
「密接な行為」の議論が処罰対象となりうる行為を前倒しするための判断枠組みであるということで昭和9年判例もクロロホルム事件も違いはない。違いがあるのは、その判断枠組みを未遂罪の実行の着手に直結させるか否かだ。
窃盗ノ目的ヲ以テ家宅二侵入シ、他人ノ財物二対スル事実上ノ支配ヲ犯ス二付キ密接ナル行為ヲ為シタルトキハ、窃盗罪二着手シタルモノト謂ウヲ得ベシ。
そして、事実認定において、
故二窃盗犯人ガ家宅二侵入シテ金品物色ノ為箪笥二近寄リタルガ如キハ、右事実上ノ支配ヲ犯ス二付キ密接ナル行為ヲ為シタルモノ二シテ、即チ窃盗罪ノ着手アリタルモノト云ウヲ得ベキ…
としている-下線部は私が引いた-
しかし、なぜクロロホルム事件では、金品物色行為に関する昭和9年判例の「密接な行為」の議論と違っているんですか?そこがよくわかりません。
日本で結果無価値論って、平野先生が唱えたのだから、日本で結果無価値論が登場したのは昭和9年よりもだいぶ後よね。平野先生の「刑法 総論Ⅰ」が出版されたのが1972年(昭和47年)だから。
ということは、昭和9年当時に「客観的な危険性」なんて裁判所どころか、刑法学会でも問題になんてならなかったはず。形式的基準のみで処罰時期を画するという形式思考の時代よね。
昭和9年判例は、「密接な行為」の議論を未遂罪の「実行の着手」の議論と直結させていたのに?
時代が下って平成16年のクロロホルム事件の時代では、未遂犯の処罰時期の判断基準に「客観的な危険性」を用いるという構成が裁判所でも採用されています(昭和45年のダンプカー事件)。
昭和9年判例が採用した、形式的基準で未遂犯の処罰時期を画する「密接な行為」の議論、に「客観的な危険性」という実質的基準を持ち込むことをクロロホルム事件では避けたのでは?
「密接な行為」の議論の形式性をそのままに残し、「密接な行為」の議論は処罰対象となりうる行為を前倒しする議論としてのみ把握して、「客観的な危険性」という実質的基準は「実行行為」該当性の判断に組み入れたということね。
要は、
①結果を帰属させる対象となる行為を前倒しする議論として「密接な行為」を位置づけ、
②「密接な行為」であり「一連の行為」と認められた場合に、その「一連の行為」の開始時で処罰をすることができるか、つまり一連の行為が一連の「実行行為」に該当するかを「客観的な危険性」で判断する
ということだね。
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