拾い出した行為を挙げてみましょう。
・「依頼を受けた」
・「承諾し」た
・「預かった」
・買いませんかと「言」った。
・「必要な書類をAに交付し」た。
・「合意した」
・「署名し」た
・「Aに会いに行」った。
・「伝えた」
・「ロープで絞めた」
・「海に落とした」
の11行為見つかった。
さて、問題は、この行為の中から刑法上検討すべき行為をどうやって選別するかだよな。
構成要件に該当しそうな行為を拾って構成要件該当性を検討しないといけない。
そこが法律家の腕の見せ所
コツはあるかな?
危険の現実化があったかどうかは構成要件該当性の問題だから。
でも、ある行為からまったくなんの関係もなく法益の侵害が発生していてもその行為を刑法的に取り上げる必要はないから、ある行為と生じている法益侵害との間になんからの関係は必要よね。
学者によっては、条件関係こそが構成要件該当性で必要となる因果関係だとするけど(条件説)、少なくとも少数説だし、私も条件説は取らないし。
ある行為から条件関係のある法益侵害結果が生じている場合に、その行為の構成要件該当性を検討すべきだね。
行為を取り上げて、その行為から条件関係のある法益侵害結果が発生しているか?という発想。
でも、結果無価値論からすると、論理的には次のようになるはずよ。
1 刑法上保護された利益(法益)の侵害が発生しているのか?
2 その法益侵害を生じさせた行為はどれか?
刑法の法益保護機能からすると、初めに刑法が介入すべき事態、つまり刑法上保護された利益(法益)が侵害されているかを検討することが先になるわね。
これをすることで、刑法上問題とならない行為を確実に除外することができるわけだから。
でも、行為無価値論も、ある行為が法益侵害の原因行為かどうかを検討するから結果無価値論と大差ない気もするけど?
行為無価値論は、行為を重視するから、道徳的に悪しき行為が行われれば、法益侵害の判断を軽視しがちになるのよ。
結果無価値論と大差ないと思うよ。
たとえ結果無価値を必要とするとしても、その結果無価値、つまり法益侵害を客観的にではなく一般人からみた危険性に還元しがちなのよ。
結果無価値論と行為無価値論は、そもそもの出発点が真逆で、発想がまったく異なるから、いくら行為無価値論が結果無価値を考慮すると言っても、その結果無価値は行為無価値論に引きずられて変容するわけ。
その違いはしっかりと押さえておかないと刑法を理解することは難しくなると思うわよ。
---次話へ続く---