今日の講義は、「実行の着手」だわ。
前に、実行行為を勉強したけど、実行行為と「実行の着手」って同じなのかしら?
言葉が違うということは同じではないような気がするけど?
説もいっぱい分かれているわね。
なんでそんなに分かれるのかしら?
理系の世界でも、自然現象を説明するモデルが色々分かれていて、どれが自然現象を説明するのに優れているのかで優劣を争っているのだけれど、刑法ではどうなのかしら?
勉強をしていると色々な疑問が出てくる。
中々進まないなぁ。
まぁ、分からないところは、講義中で解消できるようにしなくっちゃ。
神渡は、学校へ向かって歩きながらそう考えていた。
後ろから、私を呼ぶ女性の声がした。
振り向くと、阪奈(ハンナ)さんがいた。
阪奈さんとは最近友達になった。
彼女も流相君と同じ法学部出身だ。
同性ということで付き合うのも気が楽なのよね。
でも、かなり権利意識が高い。特に女性差別には敏感だと思う。
もちろん夫婦別姓肯定派だし、性同一性障害の権利向上にも尽力している。
私はそこまでの主義主張はないけど、話を聴くのは楽しい。
学校までの道すがら、性同一性障害についての話を聴いていた。
阪奈 :そもそも、「性同一性障害」という名称が良くないのよね。
「障害」って何?
彼ら彼女らは病気なの?
単に1つの個性じゃない?神渡さんもそう思わない?
神渡 :そ、そうかもね。
阪奈 :そうかもねって、どっちなのよ?
神渡 :個性だと思うわ(彼女ははっきりしているから、曖昧に答えると怒るのよねぇ。気をつけよっと)。
阪奈 :そうよね。まったくもう。皆、想像力が足りないのよ。自分がそうだったらって想像してみなさいよ。法律を勉強している男でさえ、その辺の理解がないんだから。それで法律家になれると思っているのかしらね。法律家に想像力は必須の能力なのよ。玄人先生もそうおっしゃっていたんだから。
神渡 :・・・(今日も相変わらず怒っているわね。)
阪奈も玄人先生に質問したことあるの?
阪奈 :あるわよ。だって、私、この学校の法学部出身だもの。
神渡 :そうだったわね。羨ましいわ。
阪奈 :先生としては尊敬するわ。教え方も上手いし。でも、あの生活態度はねぇ。研究室汚いもの。
神渡 :そんなはっきり言わないでも。
阪奈 :いいのよ。どうせ直らないんだから。
そんな話をしている間に教室に着いた。
席順は出席番号順になっていて、阪奈さんは私の斜め後ろの席だった。
席に着くと、直ぐに玄人先生が教室に入ってきた。
玄人 :皆さん、こんにちは。今日は、「実行の着手」の問題を扱います。
早速、講義を始めましょう。
神渡 :(ベルはまだ鳴っていないんだけど・・・。いつもフライングね。気づいていないみたいだからほっとこう。)
玄人 :今日は、まず、簡単な具体例から入っていきましょう。
≪事例≫
Aさんは電気店に侵入して現金を盗もうと計画を立てた。そして、ある夜、その電気店に侵入した。
侵入した場所は、テレビやDVDデッキが展示されている区画だったので、現金を扱う会計の区画に向かい、その区画の入り口に入ったところを、運悪く警備員に見つかり逮捕された。
玄人 :この事例において、Aさんに建造物侵入罪が成立することは問題ないので、Aに窃盗罪の未遂犯(刑法243条、235条)が成立するかを考えてみよう。
この事例では、Aは現金を盗むことに失敗しているので、窃盗の既遂犯は成立しない。そのことは大丈夫だね。窃盗未遂の成否が問題となるのだが、どの行為が問題となるのかな?
阪奈 :はい。会計の区画の入り口に入った行為が窃盗罪の実行の着手(刑法43条本文)にあたるかが問題となります。
玄人 :そうだね。では、この行為は窃盗罪の実行の着手に当たるだろうか?
阪奈 :それは、学説によるかと思います。
玄人 :では、その学説を説明してくれるかな?
阪奈 :はい。
犯意の飛躍的表動があると認められる行為に実行の着手を認める主観説と、犯意ではなく客観的な行為に実行の着手を認める客観説の対立がまずあります。
玄人 :現在は、どの説が優勢かな?
阪奈 :それは、客観説です。今は主観説の主張者はいないと思います。
玄人 :そうだね。では、まず、主観説と客観説の根拠を検討してみよう。
これらの立場は、どういう刑罰理論を前提としているだろうか?
流相 :え~と・・・、主観説は、刑罰理論において教育刑(改善刑)論を前提としていたと思います。
玄人 :これらはどうつながるのかね?
流相 :え~・・・(考えたことないなぁ)
玄人 :実行の着手における主観説は、犯罪理論での主張だね。
流相 :はい。
玄人 :犯罪理論と刑罰理論との関係はどうなっている?
流相 :え~と・・・
玄人 :では、質問の仕方を変えよう。
刑法において、法律要件と法律効果は何だろう?
流相 :殺人罪でいえば、法律要件は、「人を殺した者」にあたり、法律効果は「死刑又は無期若しくは五年以上の懲役」という部分です。
玄人 :そうだ。
では、法律要件・法律効果のどれが犯罪でどれが刑罰だろうか?
流相 :それは、法律要件が犯罪で、法律効果が刑罰にあたります。
玄人 :犯罪の成立要件を考える際に、何を考慮するべきだろうか?
流相 :それは、どのような刑罰を科すかという点だと思います。
玄人 :そうだ。科される刑罰に相当するものを犯罪成立要件に反映させなければならないんだ。
たとえば、刑法199条で考えてみよう。刑法に199条しかないと想像してくれ。199条にいう「人を殺した者」に単なる過失で人を殺してしまった者を含めて良いだろうか?
流相 :単なる過失で人を殺した者に最高刑が死刑の199条を適用することは刑罰と犯罪の均衡の観点から妥当ではないと思います。
玄人 :そうだろうね。さすがにそれは重すぎる。
ということは、やはり、刑罰の重さ・質を犯罪の成立要件に反映させる必要があるということだ。
そうすると、犯罪理論と刑罰理論との関係はどうなる?
流相 :刑罰理論が犯罪理論に反映されるということになります。
玄人 :そうだ。そうすると、教育刑論と実行の着手における主観説はどうつながる?
流相 :はい。刑罰理論における教育刑論が犯罪理論における実行の着手に反映されます。そうすると、教育するには、人の意思に働き掛ける必要がありますから、犯罪理論においても行為者の意思を中心に理論構成する必要があります。そこで、犯罪理論として行為者の主観を重視する主観主義が出てくるということになります。主観主義が実行の着手に現れたものが先程、阪奈さんが言った「主観説」です。
玄人 :そういうことになるね。
今は、教育刑論を犯罪理論に反映させた議論を支持する者はいないといってよいから実行の着手における主観説の主張者はいない。
ここまでの学説の流れは大丈夫かな?
ちなみに、主観説から初めの事例を検討すると、どの時点で窃盗罪の未遂が成立するだろうか?
流相 :現金がある区画に移動するために体を向けた時点で窃盗罪を犯す意図の飛躍的表動が認められると思います。
玄人 :ま、そうだろうな。でも、主観説の主張者は、電気店に侵入した時点で、窃盗犯意の飛躍的表動を認めるかも知れない。
では、次に行こう。
その2へ続く・・・。