玄人 :次は、客観説を検討しよう。
阪奈 :客観説には、構成要件該当行為の一部を開始した時点で実行の着手を認める形式的客観説と法益侵害の危険をもって実行の着手を認める実質的客観説とがあります。
玄人 :まずは、この2つを検討しようか?違法性論とどう関わるかな?
神渡 :はい。法益保護を重視すると実質的客観説になると思います。
対して、規範違反を重視すると形式的客観説になるのではないか、と思います。
玄人 :基本的にはそういう対応関係にある。規範違反説は、規範違反行為を構成要件に類型化したと理解するので、構成要件に類型化された規範違反行為、つまり、構成要件該当行為の一部を開始することが実行の着手となる(団藤先生が主張した定型説)。
ただ、規範違反説をとっても、構成要件の類型化を実質的に捉える(つまり、構成要件該当性を実質的に捉える)と構成要件該当行為に密接な行為の時点で実行の着手を認めるという見解になる(修正された形式的客観説)。
ということは、形式的客観説は、違法性論における規範違反説+構成要件該当性判断の形式性から導かれることが分かる。
これに対して、違法性論における法益侵害説から実質的客観説が導かれるのは容易に分かるだろう。
玄人 :では、聞くが、実質的客観説内部で対立はなかったかな?
阪奈 :あります。危険結果説と危険行為説です。
危険結果説は、結果発生の切迫した時点をもって実行の着手を認める見解で、危険行為説は結果発生の切迫性がなくても結果発生の現実的危険性がある時点で実行の着手を認める見解です。
玄人 :よく勉強しているね。そういう見解がある。
どちらの見解が処罰時期が早いだろうか?
阪奈 :結果発生の現実的危険性がある時点で実行の着手を認める危険行為説です。
玄人 :この両説の違いが最も鮮明になる場面はどこかな?
阪奈 :はい、離隔犯です。
玄人 :これについては、もう少し後に検討しよう。
では、危険結果説と危険行為説とは違法性論とどう関わるか分かる人?
流相 :はい。危険結果説は法益侵害説から、危険行為説は規範違反説から導かれると思います。
玄人 :具体的には?
流相 :はい、法益侵害説は、法益侵害という結果の発生をもって違法性を肯定する見解です。結果の発生を重視する見解ですから未遂犯(実行の着手論)においても、未遂結果の発生を要求するのだと思います。そこで、明確な危険の発生時点である危険発生の切迫性がある時点に実行の着手を認めるのだと思います。
これに対して、規範違反説は、行為が規範に違反することをもって違法性を肯定する見解です。行為の規範違反性が問題ですから、あくまでも行為の危険性に注目することになります。そこで、結果発生の現実的危険性がある時点で実行の着手を認めるのだと思います。
玄人 :危険結果説の説明は良い。だが、危険行為説の説明が正確ではない。規範違反説からただちに危険行為説が導かれるのだろうか?
流相 :え~と・・・。
玄人 :さっき、形式的客観説は規範違反説を基礎とすると言ったね。そうすると、規範違反説からは形式的客観説が導かれるのではないだろうか?
流相 :はい、そうですね。
玄人 :危険行為説は、実質的客観説に分類される説だよね。実質的客観説が基礎とする違法性論は何だろう?
流相 :それは、法益侵害説でした。
玄人 :そうだね。じゃ、どうなる?
流相 :あ、分かりました。
規範違反の行為に、結果発生の危険性があることが要求されることになります。
玄人 :そうなるね。現在の行為無価値論は、結果無価値も考慮する二元的行為無価値論だからね。
危険結果説も危険行為説も同じ「危険性」という言葉を使うのだが、危険結果説は「切迫した危険」といい、危険行為説は「現実的危険」といっている。どんな違いがあるのだろうか?
阪奈 :「切迫した危険」は、まさに危険が目前に迫っているということで、「現実的危険」とは、そこまでの危険性はないけど、ほぼ結果が発生する可能性があるということかと思います。
玄人 :イメージとしてはそうだろうね。
「危険結果説」というネーミングにも現れているように、この説は、危険犯も結果犯と捉える考え方なんだ。だから、事後的に振り返って、危険を「切迫した危険」と捉えるんだよ。
これに対して、「危険行為説」は、そのネーミングに現れているように、行為に含まれている危険のことをいっていて、その判断は、行為時判断になるんだ。行為時点で、将来の結果発生の可能性を予測することになるんだ。この違いは分かるかな?重要な違いになるぞ。
その重要性を分かるために、事例で両説の違いを検討してみよう。先程、少し言った「離隔犯」を検討しよう。
その3~離隔犯~へ続く・・・。