やっぱりそうですか。
結果無価値論者だと、具体的危険犯としたうえで、行為が行われても具体的危険がないとして犯罪不成立とする方向と親和性がある。
放火罪とかだと抽象的危険犯とか具体的危険犯とかありますね。
現住建造物放火罪(108条)は法文上「公共の危険」の発生が要求されていないから、所定客体の焼損により公共の危険の存在があるものとされているわね(擬制説)。
この現住建造物放火罪で「公共の危険」をどう考えるかは結果無価値論者と行為無価値論者で考え方が別れるかなぁ。
たとえば、草原にポツンと佇む他人所有の住居に対して(現住建造物)、中に人がいないことを確認したうえで放火した場合、現住建造物放火罪が成立するのかどうか、という事例で考えてみよう。
どう考えるか?
そもそも放火罪の保護法益は、不特定または多数人の生命・身体・財産であって、その処罰根拠は、不特定または多数人の生命・身体・財産に対する危険(公共の危険)にあるわけだから、公共の危険が生じない場合に放火罪の成立を認めるのは無理よ。
---次話へ続く---