被告人が同女をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階においてすでに強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点において強姦行為の着手があつたと解するのが相当
と判示しています。
この判例では、ダンプカーの運転席に被害者を引きずり込もうとした段階での暴行が、旧強姦罪の手段としての「暴行」に該当すると判断したのでしょうか?
ダンプカーに引きずり込む段階における暴行は強制性交等の手段としての暴行ではないから、強制性交等の構成要件が要求する実行行為としての「暴行」には該当しない…。(橋爪隆『刑法総論の悩みどころ』(有斐閣、2020年)292頁)
未遂犯は既遂構成要件が充足された場合ではなく、充足される危険性がある場合に認められるのであるから、構成要件が要求する行為・手段についても、それが現実に開始される必要はなく、それが実現される危険性があればたりるように思われる(橋爪・前掲書292頁)
との記述があるからな。
なお、ダンプカー事件では、旧強姦罪が問題となっているからここでも以後は旧強姦罪を検討する。基本的な考え方は強制性交等罪でも変わらないしな。
では、結合犯とはどういう犯罪だ?
では、旧強姦罪の構成要件は?
①暴行・脅迫
②反抗を著しく困難にし、
③姦淫した
です。
②反抗を著しく困難にしたことも必要なのかな?
たしか、強盗罪では、判例は反抗が実際に抑圧されなくても、反抗を抑圧するに足りる暴行・脅迫が加えられれば強盗罪が成立するといっているから、強姦罪でもそれと同じになりそうだけど。
私は、強盗罪において、実際に反抗が抑圧されることが必要と考えるわ。
強姦罪についても同様に考えるべきだと思う。
今問題となっているのは何か?
強姦罪の処罰時期は、手段としての暴行・脅迫行為時に限られるのか?
それとも
手段としての暴行・脅迫行為以前に前倒しすることができるのか?
です。
その問題を考える際に重要となるのは、旧強姦罪が何故、暴行・脅迫行為を要求したのか?ということだ。
なんででしょう?
保護法益は性的自己決定の自由
です。
性的自己決定の自由を侵害して性交渉を強制(姦淫)する犯罪が旧強姦罪です。
だから、旧強姦罪では、性的自己決定の自由を侵害して姦淫を実現する手段としての「暴行」「脅迫」が必要とされたことになるかと。
このような理解ですと、旧強姦罪は、手段たる「暴行」「脅迫」に着手した時点で姦淫に至る客観的危険性が認められるということになります。
だが、どういう理解に立っても、姦淫の手段たる「暴行」「脅迫」に着手した時点で姦淫に至る客観的危険性-具体的危険性など、学説により表現は様々だが-が認められることに争いはない。
争いがあるのは、姦淫手段たる「暴行」「脅迫」の着手以前に処罰時期を前倒しすることができるかどうかだ。
あえて、条文で形式的限定を明示した犯罪の、その形式的限定を無視してもいいのかどうかということですね。
その自由を侵害しない限りは、女性と性交渉を持つことは犯罪ではない。
逆に、女性は自分の性的自己決定に基づき自由に男性と性交渉を持つことが可能だ。
強姦罪の性質上、被害者の承諾にもとづくいわゆる和姦は除かれるべき(大塚仁『刑法各論 上巻〔改定版〕』(青林書院、1984年)239頁)
です。
「姦淫」なのか?
その区別は、性的自己決定の自由に基づくのか(和姦)、性的自己決定の自由を侵害するのか(「姦淫」)ということだが、実際にはどう区別すればいいのかが問題となるだろう。
あるいは、かつらであることを隠していたとか?
それらの場合、性的自己決定の自由が侵害されたのか、の判断は難しくなりますね。
理論的にかなり工夫をして処罰するための理論を考えているもんね。否定する学説が超少数。
それは、形式的限定により、性的自己決定の自由が侵害されたか否かの判断を明確にするためでしょうね。
判断の明確性を担保するために「暴行」「脅迫」という形式的限定を設けたわけね。
だから立証の困難さを考慮して判断の明確性を担保したとも考えられるかも。
しかし、形式的限定があるということは、男には有利だな。
だって、「暴行」「脅迫」という手段を用いなければ「姦淫」したことにはならないんだから。
「暴行」「脅迫」という手段が用いられない場合は、被害を受けたと訴える女性は抵抗しようと思えば抵抗することができるのだから、反抗が著しく困難であったとはいえない、と判断されそうね。
立法者はそう考えたのかもしれないわ。
逆に、「暴行」「脅迫」を用いたのに、反抗が著しく困難にはなっていないという判断は無理筋だよね。
刑法典の制定は、明治40年(1907年)ですから女性の国会議員はほとんどいなかったでしょうし。
男性側に有利な立法意思…
その意図はそのままでは法律の解釈に持ってこれないが、この意図を刑法的に言うとどうなる?
処罰範囲の拡張を防ぐために形式的限定を設けて、裁判所や警察・検察権力にその形式的枠を超えないようにと、処罰範囲を限定したということになります。
罪刑法定主義の徹底ということですね。
だから、立法者意思を上のように捉えますと、姦淫手段たる「暴行」「脅迫」の着手以前に、いかに姦淫に至る客観的危険性が認められるにしてもその着手以前に処罰時期を前倒しすることはできない、ということになりますね。
つまり、旧強姦罪の処罰時期は、姦淫手段たる「暴行」「脅迫」行為時に限られるということになる。
---次話へ続く---