じゃ、流相。
新派⇒教育刑論⇒社会的責任論
旧派⇒応報刑論⇒道義的責任論
の対立がまずありました。
牧野先生vs小野先生
ですね。
で、
旧派が勝利し社会的責任論は表舞台からは消えました。
旧派⇒応報刑論⇒道義的責任論
が勝利した。
ただ、道義的責任論側の団藤先生は社会的責任論の考え方を一部取り入れています。
社会的責任論は行為自体よりも行為の背後にある行為者の危険な性格に刑罰を科すという考え方で、団藤先生の「人格形成責任論」もその考え方を取り入れていたからです。
団藤先生は、「人格形成責任論」において、行為自体への非難だけではなく、そのような行為をするに至った人格形成過程をも非難の対象としました。
ですから、
旧派⇒応報刑論⇒道義的責任論⇒制限故意説
というのが学説史的には初めに登場したと言えます。
旧派⇒行為無価値論⇒応報刑論⇒道義的責任論⇒故意説
⇒結果無価値論⇒抑止刑論⇒法的責任論⇒責任説
となります。
故意説は道義性が強すぎるということで故意の内容から道義性を排除する方向で結果無価値論は動き、その結果、上の図式のように責任説が登場しました。
その後、団藤先生の弟子の大塚先生が人格形成責任論ではなく、行為責任を徹底する立場から「厳格故意説」を主張し、
旧派⇒行為無価値論⇒応報刑論⇒道義的責任論⇒制限故意説vs厳格故意説
となります。
故意をもっぱら構成要件要素と考えるのか(厳格責任説)、それとも責任要素と(も)考えるのか(制限責任説)の対立です。
⇒結果無価値論⇒抑止刑論⇒法的責任論⇒制限責任説vs厳格責任説
です。
もっと言えば、制限責任説と厳格責任説の違いは、故意の体系的地位による違いだ。故意の体系的違いは、構成要件と違法性の関係も関わってくる厄介な問題ではある。
そうすれば覚えることは少なくて済むから勉強が楽になるぞ。
うん。一緒に勉強しよう、神渡さん。
これからもよろしく。
そんな暇があったら今日学んだところをちゃんと復習しておけ。
じゃ、今日の講義はこれで終わる。
---終---